日本列島寒波到来。九州 宮崎も冷たい風が吹きました。宮崎北西部、九州山地に位置する五ヶ瀬町も積雪があったとのことで今週、スキー教室にでかける娘たちもたくさんの雪に期待しています。
日曜日担当【KUMI】です。今週もEIKOブログよろしくお願いいたします。
お正月開け、世間は仕事始めという時
知人が深夜、緊急手術との一報が入り大慌てで父と主人が病院へ走りました。その後、ICU集中治療室にて面会謝絶の状態が続きました。「奇跡」を信じ、回復をみんなで毎日祈りましたが1月26日朝、家族の見守る中 静かに息を引き取られました。
故人、実さんは源太 御手洗専務の実兄であり、父の親友、そして何より私たち夫婦の仲を取り持ってくれた仲人さんです。
あることから、実さんと佐藤の両親、修一さんが話す中で「修一君にそろそろお嫁さんを・・・。」という話題になったそうです。そんな時、実さんの目に飛び込んできたのが私。私は仕事が休みになると実家の青果業の手伝いに出ていたので偶然というか、必然というか。まさに縁とは奇なものです。実家の父も信頼おける実さんの仲立ちならばと、この縁談話を私に持ちかけ、トントン拍子に話がまとまり現在に至ります。
会うたびごとに、「幸せそうな笑顔で私はうれしいよ。」「みんなにかわいがってもらいなさいよ。」とやさしい笑みを浮かべて声をかけてくださいました。また、鮎取り名人でもあったので「鮎解禁」となると鮎釣りに出かけては鮎が大好きな義父や私らに食べさせてくれました。自分は鮎は食べないのだけれど、美味しいって喜んで食べてくれる人の笑顔を見るのが好きだからと、いつも人様の幸せを願う方でもありました。
昨日、親族、仲間、知人らに囲まれ旅立って行かれました。
告別式では私の義父、父の二人が弔辞を読みました。
義父は故人が生前歩んできた布施のある人生を讃え、残された親族を自分がこれからも背負って行くから安心してと愛情深く語りました。
父は普段からけして人前で話すことは得意ではないのですが、親友の最期に伝えたい言葉を粛々と語り、青果市場で過ごした時の思い出を振り返りました。
祭壇は普通、生花が飾られますがそれに加え青果業を営んできた店主にちなんで野菜や果物がきれいに盛られ、別れの曲には大好きな北島サブチャンの曲が流れ、故人を偲ぶ人々の思いがつまったものでした。
実さんとのご縁に出会わなかったら、今の私たち家族は存在しませんでした。大いなる愛情で見守ってくれる佐藤の両親、何もできない私をたくさんの力で支えてくれる会社の皆さん、どんなときも隣にいてくれる夫、かけがえのない我が子たち・・・。
今の私が存在する意味を今一度教えてくださった実さんに哀悼の意を尽くし、これからも精進し恩返しができる私でありたいと思います。
実さん
また逢う日まで
ありがとうございました・・・
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