栄高産業社内リレーブログ

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2009年07月28日

ルールづくり

 私の自宅のまわりは、私も含めてほとんどが兼業農家でこの間までは、田植え作業に追われて大忙しでした。
今年は、近年まれに見る『水不足』の年で、みんな苦労しました。
こんな年に起きるのが、文字通り

『我田引水』です。

田舎の小さな農村です。
普段は、助け合い協力し合うという相互協力が根付いています。

が、今年のような時には他の人が田んぼに水を入れていようが、それを止めてでも、自分の田んぼに水を入れる。
途中の用水路の分岐を勝手に切り替えて、自分の田んぼの方に水を流すなど、とたんに殺気だってきます。

この『我田引水』、イメージ的には自分勝手という悪いイメージが真っ先に浮かびますが、

『なんとしてでも米をつくり、家族を養うんだ!』

という昔からの農民の気持ちを考えると,それだけ必死なんだとも考えてしまいます。

でもそんなことをしていたら、みんなが共倒れになってしまいます。

そこで始まるのが、『給水時間制限』というルールです。
田んぼを区域毎に分け、時間毎に給水時間を分けあうという、昔からのルールです。
このルールが始まると、真夜中だろうが、早朝だろうが,決められた時間しか水を使えないので、計画的に給水しなければなりません。


いま会社の中で、5Sルール・改善ルールを作成しています。
どの項目も、会社をよくする、働きやすくするということについては、いいルールが出来ていると思います。
でもその中の、守れなかった場合の対処法として『処罰』の項目の取扱いで、いろんな意見が出ます。
やはり、自分たちで決めるルールの中に『仲間たちへの処罰』に抵抗があるようです。(自分もですが…)

『もし残業で遅くなって出来なかったら…』
『誰か1人しなかったら、意味がなくなる…』

など、処罰の対象にもいろんな事情が考えられ、中々まとまりません。
『そもそも始めに処罰ありきがいかん』とか意見も出て、みんなで『う~ん』と考えることもしばしば。

『守れなかったらではなく、守らせる』ルール作り。

理想ではありますが、やはり難しいのかなと思います。


先ほどの私の地区の『給水時間制限』というルール
みんな仕事の都合や、各家庭の事情があります。

それぞれ聞くと、『それならやむを得ない』とか『その日だけは特別にしてもらったら』などと思える事情もあります。

でもそこは、『鉄板ルール!』

そこから秩序が乱れる事がわかっているから『時間のルール』は絶対的に守られます。

そこには守れなかった時の 『処罰』 はありません。
『必ず守らなければいけないこと』という事だけが暗黙のルールとなっています。

そこには昔からの 『なんとしてでも米をつくり、家族を養うんだ!』 という統一した気持ちが根底にあり、みんなが『米を作ろう』という同じ目的を持っているから、各個人、各家庭の事情は、二の次でも『ルール』を守るということが最優先されるのだと思います。

『守らせるルール作り』

確かに難しい事です。

でも目的が明確であれば、単なる理想論ではないと思います。

昔からの農村と、いろんな人が集まった会社組織。

一緒に考えることは出来ないかも知れないけど、最後の最後は自分のため,自分の家族のためという目的は、同じだという気がしています。


P1010553.jpg



 

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先週の初めの朝、岡富現場に新車のバックホウが納車されました。

土木工事の厳しい時ではありますが、

正直『やはり、新車はいいなぁ~』です。



使ってナンボの機械ではありますが、ピカピカのキャタピラやバケット(地面を掘る部分)を見ると、使うのがもったいないなぁ~と思い、せめて写真だけはと何枚も撮影しました。

これからこのキャタピラやバケットが擦りきれる程活躍できるように、更に頑張らないといかん!
と気の引き締まった朝でした。

この後、みんなで安全祈願を済ませ、バックに見える現場へと向かいました。


          いざ出陣のザクシス200
R0013638.jpg



上の写真のちょうどバケットの上あたりなのが、下の写真です。
R0013664.jpg
ダンプカーに土砂を積んでいるのが、ザクシス450です。
今回納車されたバックホウのバケット容量が0.7m3(りゅうべ…立方メートルのことです。)なのですがこの450は1.6m3あります!

その左側の重機が、先ほどの新車のバックホウですが、大きさの違いがわかるでしょうか?
左側の重機だとダンプカーに積み込むのに6~7杯程度かかりますが、450なら3杯でOKです。


他のブログ仲間同様、機械好きな自分としては

(いいなぁ。ちくしょう乗りてえなぁ~)

と思いながらも、まるでその気はないようにシレーッと眺めています。R0013666.jpg機械が新しくても、機械が大きくても、結局の所の『安全』というのは、それを操作する『人間』にかかってきます。

新しかろうが、大きかろうが、『安全の基本』は変わらずに進めていかなければと、大型機械でごった返している現場に立って考えました。
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2009年07月14日

日々是精進

先日福岡に出張して、1泊した時のことですが
少し離れたところに住んでいる息子に会いに行きました。

(始めて乗る地下鉄か、それとも電車にしようか?)

などと考えながら、博多駅に向かいましたが、田舎者には右も左もさっぱり…。

(タクシーにしようかな?)

一瞬思いましたが、せっかくのチャンス(何の?)だから、自力で行ってみよう!と思い、外の景色がわかるバスに決定。

案内係の女の子にと聞くと優しい声で
『あー乗り換えですねぇ。』と言われました。

(はぁ、福岡で乗り換えかよ!?)

と思いながら、不安な気持ちでバスに乗り込み入口近くに座り、乗り換えのバス停を聞き逃すまいと必死に運転手の案内を聞いていました。

でも声が小さく、ボソボソといった話し方でよくわからず、ますます不安になります。
さらに他の人のバス賃の支払いを見ていると、携帯電話かプリペイドカードのようで、ほとんど現金支払いの人はいません。

降りる際に、『バス賃はここですか?』の問いに、無言でうなずかれ

(都会は冷たい…)と、早々に降車。

そして次のバスに乗り換えると、今度は元気な大きな声で

『このバスは○○方面です。どこどこのバス停に止まります。急ブレーキにご注意ください。』

とアナウンスをされ、それ以外にも降りる時や、乗り込む時の案内がていねいで、先ほどと違い安心して乗っていられました。

思わず降りる時に『ありがとうございました。』と言って降りた私。


この二人の運転手さん。


比べると時間通りに運行して、運転もていねい、アナウンスも声の大小はあっても一通りやっている。
確かに、規則通りでしょう。

でも、乗った感じは全然違います。

この差は…?

思うに『プラスアルファ』の差かなと思います。

後者の運転手さんは、おそらく自分の仕事に誇りを持ってハンドルを握っているのだろうと思います。
その誇りと、お客さんへの気遣いから、あのように自然な対応ができるのでしょう。

自分とは職種が全然違いますが、やはり私達も『相手』がいて成り立つ商売です。

『ちゃんと決められた事はやったから…』

『うちの作業範囲はここまでだから…』

と、規則・決まり事だけを並べていないか…?

間違ったことはしていない二人の運転手さんの対応に出会い
『プラスアルファ』の大切さと難しさを感じました。

お客様あっての私達。
今後は更に技術と同時にそれらのことも磨く必要がありそうです。

『パワフル&ハートフル』

うーん、なるほど名言です。

 
そんな苦労をしながら、会った息子とは、30分位しか話す時間がありませんでした。

福岡に来て一年が経った彼は、仕事についての悩みも抱えているようです。

会うまでは、あれも話そうこれも話そうと考えていましたが、いざ会うと

『飯はちゃんと食ってるか?』
『風邪はひいてないか?』

とか話すのが精一杯。

いろんな言葉を待っているであろう息子とそれを言えない自分が腹立たしいやら…

目の前にハードルが出現し、それを乗り越える意味を見いだせずにいる息子に対して、乗り越える意味を伝えきれないながらもせめて

『それを乗り越えたらまた違う世界が見えてくる』

ということを伝えたいけど、うまく言えない…

父親修行中です。

息子よ、修行させてくれてありがとう。
 



 


 

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2009年07月07日

言葉の力

少し前までは、子供のおかげで学校の役員を結構させていただきました。
会合や講演に参加することも多くて、自分が人前で話したりする経験を何回もできたのは、役員をさせて頂いたおかげだと感謝しています。

いろんな人の話を聞いてその話に共鳴したり、自分の話について批評されたりしている内に、『言葉の力』ということをよく考えていました。

用事を伝える『言葉』

ではなく『何か』が伝わる『言葉の力』

古来より言葉には魂が宿るという意味で

『言霊(ことだま)』

という言い方をされて来ました。


先週、延岡総合文化センターで行われた『中村文昭氏』による講演会でも、たった一人の人の言葉で、1,000人を遙かに超える人々に何かが伝わる。

計りようは無いけど、ものすごいエネルギーが伝わったと思います。
そして、何かが伝わった人たちが少しずつ行動を起こしたとしたら、それは目に見えた力となって広がっていきます。

そう考えると、改めて『言葉の力』、『言霊』ということの凄さを感じます。


そしてそれは大がかりな講演での凄さだけではなく
日常生活のちょっとした言葉、何気ない言葉でもある時は喜び、またある時は深く傷つく。

誉められればやっぱりうれしく、苦言を言われればわかっていても、悔しい思いになる。


『言葉の力』と考えたら、ある意味会話は『双刃の剣』であり『取扱注意』なのかもしれません。

相手の立場でものを言う。わかっていても感情が先に出て、『はぁ~』と後悔の繰り返し…まだまだ修行が足りません。

輸送課で、我が社の親会社であります佐藤工業生コンにセメントを運ぶ運転手さんがいます。

ほぼ、毎日事務所に寄るので、本社と営業所の書類や荷物も届けます。
その運転手さんが、事務所に来た時にカウンターの上に飾ってある造花の花を見ながら

『この花はきれいじゃねぇ、まるでここの事務員さん達みたいじゃ。いつまでも綺麗じゃもんねぇ。』

とサラリといいました。

私は、冗談ぽく言ったその言葉よりも、その一言で事務所の中がワッと明るくなったことに驚きました。

使い方次第で、毒にも薬にもなる『言葉の力』

それを薬として使った時の、典型的な例を見せてもらったようです。

さすが年の功。


おっとこれは失言でした。

ごめんなさい。

 
でも教えてくれてありがとう  木原さん。
 

 

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