栄高産業社内リレーブログ

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2009年08月25日

村おこし

昨日も大変暑い日でしたが、日之影町では『公民館対抗ソフトボール』がおこなわれました。
42回目という長い歴史のある大会で、十数年前まではチーム数も多く2日間に渡っておこなわれ、住民総出の応援という一大事業でした。

現在は、人口減少に伴いチーム数も少なくなり、会場を数カ所に分けてランク別で競技し、1日で行事を消化するという少し規模が小さな大会となりました。

それでも地元の公民館の威信をかけての大会であることに変わりはなく特にAクラスの試合ともなると

『レクレーションだから仲良くしようや』

などと言いながらも、いざ試合が始まると真剣勝負となりとたんに『日之影版 甲子園大会』となってきます。

自分たちのチームも平均年齢40歳!!の高齢者チームですが、過去の3年連続優勝を含む数回の優勝経験を誇る自称”強豪チーム”としては、密かに優勝を狙います。

でも年がひとまわり下くらいの相手だと思っていたら、最近は二回り下の選手も出始めて、ホントに親子対決ぐらいになりつつあります。

11時頃の本格的に暑くなった時の試合開始で、
(熱中症になりそう…)
という感じでした。

午後からも炎天下の中決勝戦に挑み、途中では
(数年ぶりの優勝かぁ!?)
と思われましたが、ピッチャー(私です。)が、暑さと高齢!?で力尽き、残念ながら準優勝に終わりました。

でも女子チームも参加して同じく準優勝することができ、他のクラスにも2チーム参加して、暑い中ですが地元公民館が一体となって、楽しい一日を過ごすことができました。

夕方から始まった慰労会でも、参加者や応援の人達が、また一緒になって盛り上がり、昼間のスポーツとはまたひと味違った一体感を味わうことができました。

世の中の情勢は厳しい話ばかりですが、こんな小さな田舎の町でも

『みんなで参加して盛り上げよう』

という気質があり、それがこの町をささえている原動力のひとつでもあると思います。

今日は、夏の甲子園の決勝戦でした。
試合自体を見聞きすることはできませんでしたが、最終回までもつれ込むドラマのような試合展開だったようです。

おそらく試合をした球児やそれを見ていた人達に感動を与えただろうと思います。

それには遠く及ばないとは思いますが、身体が動くうちは、

『若いもんには負けん!』

という気持ちで、来年もまた『日之影の甲子園』を目指して頑張りたいと思います。

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2009年08月18日

夏期休暇?

皆さん今年のお盆はどうお過ごしでしたか?
我が家では、初盆でしたのでお盆休暇どころか、お盆過労状態でした。
この初盆参り。 正直今まではお互い様なんだから、したりされたりするよりお互い控えた方が、楽なのに…とも考えていました。

でも、大事な家族を失ってからの最初の盆というのはやはり特別で、お参りしていただいた方々には、本当に感謝しています。

私にとっては、かけがえのない存在であった祖父に、皆さんがわざわざ線香を上げて悼んでいただくということは、お互い様の儀礼ではなく、その故人に対する尊厳が感じられ、昔から伝わる大事な行事の一つなんだと感じました。

そんな忙しい中にも夜になれば、落ち着いた時間となり、地区の有志で行われた花火大会を自宅の縁側で眺めることができ、幻想的ともいえる盆灯籠の灯りの中で娘とコブクロの歌を歌ったり、息子と腕相撲をしたり(もちろん秒殺です。)ホッと一息という時間を過ごすこともできました。

初盆ということで、親戚の人の帰省もあり、家いっぱいの雑魚寝状態でしたが、それもまた楽しい一面でした。

いつかのブログにも書きました役員をしている叔父とまた今回色々と飲みながら、話す機会がありました。

外国を相手にしているその叔父の話は、いつも楽しく聞くことができ、割り箸の袋の裏にさらさらっと書いただけで契約成立することや、日本的な農耕民族と外国の狩猟民族の営業戦略の違いを見せつけられたりと話を聞くたびに視野が広くなっていく気がし、娘も

『おじさんと話すたびに頭がよくなる気がする。』

と話しておりました。

外国相手の営業では、契約するまでが大変だけど、いったん契約できるとその会社よりも担当者が大事にされ
『取引をする会社』ではなく『取引をする担当者』が最優先されるそうです。
そして営業より大事なのは

『アフターフォロー』

と言います。

機械を販売した後のメンテナンスや、クレームが来たときの対応に最大限の力を集中させるようです。
いったんクレームが来たら、『誰の責任?』などというのは、一番最後!

何をさておいても総力を挙げて善後策を追求し対応する。
海外から直接届く外国語のクレームのメールを必死に読み解き対応に奔走する…。

外国相手の大きな企業の話と聞いていましたが、やはり大事な部分というのは同じかなと感じました。
営業に重点を置き、受注できたことを到達点のように喜び、本当に大事な『アフターフォロー』が二の次になっていたのではないかと考えさせられました。

なるほど基礎、足元を見据えて行くことが大事なんだと納得していました。

その後、話の中でひょんな事から『特許』の話になりました。

『へーやっぱり会社の特許があるんだ』

という私に

『当然じゃあ、会社はもとより個人の特許もあるし、俺でも20個以上の特許があるぞ』

という返答。

『マジ!? スゲー!!』

と思わず言ったら

『今の時代、特許もなかったら生き残れんぞ』

とその叔父の答え…。

普段、ほとんど自己主張をしない叔父の言葉に逆に重みを感じました。

『アフターフォロー』という基本を最大限に大事にしながら、さらに会社や個人が『スキルアップ』を続けて行かなければ、生き残れないという事を教えていただいたようで、外国や都会の遠い所の話ではないなと考えさせられました。

その叔父が、人の意見や忠告は
『逆らわず、笑顔で聞いて、従わず』
が大事だぞと言っていました。

でもおじさん、それって結局言うことを聞かないって意味よね?
矛盾してない?

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2009年08月11日

御祝い

今から20年前の平成元年8月8日に私の息子が誕生しました。
身長52㎝、体重2885g(確か…)で生まれた息子。
父親に似て大変不器用な所があり、小さい時から何をするにも一番最後ということが多々ある子でした。
そんな彼がここまで成長できたのは、それこそまわりの人の『おかげ様』であることは自他共に認めるところです。

徒競走で最後になってもみんなから声援をしてもらい、勉強も先生方や友達から親切ていねいに教えてもらっていました。

中学校ではバスケットボールの練習に必死について行き、やがて高校に進む時、厳しい寮生活の学校を選びたった1人で新しい環境に飛び込みました。
今までのことを見て来て、(う~ん大丈夫かな?)というのが本音でしたし小さい頃には母親から離れ切れず泣いてばかりいたのに、どうなることやら…    と考えていました。

でもここでも、まわりの人の『おかげ様』があり、一年経った時には見違えるように成長したことを覚えています。

まだ息子が小さい頃は、20歳の誕生日には2人で飲みに行こうと密かに考えていたのですが、いざその日になってみると、遠く福岡に移り住んでいてそれどころではありません。
一応我が工藤家としては、16代目の長男でもあるので、家族はちょっとがっかり気味です。

でもなぜか特別な日であるのに、普段と変わらない様に過ぎていくことが有り難いという気持ちもどこかにあって、息子に御祝いメールを打ちながら勝手に

『御祝いじゃあ~!もう1杯!!』

などと結構楽しい誕生会!?でした。

考えてみれば、息子が生まれた時は三代夫婦の中での四世代同居という恵まれた環境であり、多くのことをその中で学んできました。

息子には、

『人のおかげに感謝しろよ。それは今まででもあり、これからもじゃ』

と言ったりしましたが、はたして自分はどうか?とも考えます。

頭でわかったつもりでも、気持ちや態度に

『自分がやったから…。自分が頑張ったから…。』

などという『おごり』が出てきていないか?
どうも年を取るたびに謙虚な気持ちがうすれていくような…
息子の大事な節目の日に、御祝いの気持ちと戒めの気持ちが混じり合っていました。

そうじゃ!人に言う前にまず自分を顧みなければ…

『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』

確かにそうです、まだまだ勉強です。

まぁ、でも今度帰省した時は、飲みに行こうかな?

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2009年08月04日

『知る』と『わかる』


『知っているという事』と『わかるという事』

先日、親戚の葬儀の時の住職が話されたことです。
似たような言葉ですが、意味はかなり違います。

『知る』ことは、講演を聞いたり本を読んだりしたら知識として人に記憶されます。
しかし『わかる』ということは、そのことを理解し自分の物にして初めて、意味がわかるという言い方ができることです。

今日、現場に作業員が不足していて、それでは自分が…ということで、コンクリート打設(生コン車と呼ばれるミキサー車で運ばれた、コンクリートを枠の中に入れてしまう作業です。)に行きました。

気温が高く無風の状態で始めた作業ですが、いきなり汗が噴き出し、見る間に作業服もびしょ濡れになりました。

熱中症でダウン!? 作業開始30分後には自分の中に赤い回転灯が点滅し始めました。

こりゃいきなりダウンしたら、

『やっぱ普段、楽している人はダメやね』

と言われるのは目に見えているので、気力で踏ん張ります。
でも常々、安全会議で熱中症対策として自覚症状が出たら、すぐ休むように!と言っており、倒れでもしたらお互いが不利益になるからね!と脅しのようなことを言ってでも、熱中症を防ぐ対策をとっている手前、

『すいません。がんばりすぎました。』などとは口が裂けても言えない立場としては、何か理由をつけてでも休まないとと考え、

『よしこれだ!』と考えついたのが、ジュース買いに行くことでした。

大人数なので、泣く泣く十数本のジュースを買って、みんなに配り自分もリフレッシュしました。

午後から始めた打設も、機械の調子が悪かったりで残業になりました。
ようやく片付けて、さあ帰ろうかとなった時に、ある作業員の人から冗談のように

『久しぶり汗をかいたやろう』と言われ、

イヤミと思いながらも

『そうねぇ、仕事でこんなに汗をかくのは久しぶりじゃわ』

と答えたら

『ほおー、うらやましいねぇ』と返され

『あはは…』と言いながら

心の中では
(額の汗はかかなくても、腹の底や、気持ちの中では毎日汗みどろじゃあー!わからんかぁ)

と叫んでいました。

でも、先日聞いた住職の話。

それで考えれば、その作業員の人も私の普段の仕事のことは知っていると思います。
でもそれがどんな物なのかは、確かにわからない事かもしれません。

逆に、私も安全会議の中でも
『暑い中での仕事ということはわかっていますが、安全作業に気を付けながら、作業を進めてください。』
とわかっているつもりで発言したことが、知っていることだけで言っていたかもしれません。

この炎天下での仕事を毎日やれ!と言われたら、私でも
『自分でどんな目にあうか、やってから言え』という気持ちになるであろうと考えます。

『知っているという事』と『わかるという事』

現場の最前線で働く人と、そこに指示を出す人、そこにおいて両方が『わかる』ということは、簡単そうで、実は非常に難しいことなのかも知れないと感じました。

先日、弊社で行われた安全大会。
全社一丸。なんではありますが、そこはやはり私は部門長。
土木部の人間が入賞したスローガンを考え、作業スタイルのモデルになり、安全指針の唱和を行い、そして全体の司会を堂々としてくれた。
閉会間際には、正直感激して、こみ上げてくるものをやっと押さえていました。
すばらしい安全大会を行えた事で、また一歩凄い会社に近づいたとさえ考えていました。

でも今日の末端の現場での気持ちのすれ違い…

自分の独りよがりではないのか? あの時自分が感動した気持ちを全員が感じているのか?

『全社一丸』

たった四文字ではありますが

すばらしい安全大会を開催できた事で、更にハードルが高くなったのではと感じています。
 

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