栄高産業社内リレーブログ

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2009年07月30日

共通点

26日(日曜日)、雨の降る中、地元日之影町の消防漕法大会が行われました。

以前ブログでも紹介しましたように、日之影町の消防漕法のレベルは高く、特に我が第3分団の団員たちの漕法に対する熱意は、ハンパじゃありません。
昨年全国大会に出場した部の団員たちは、去年の結果に恥じないように、4月から練習を行い一生懸命頑張っている姿をみると頭が下がる思いになりました。
他の部の、団員たちも必死に自分たちの部の伝統を守ろうと指導者や、班長達に厳しく教えられてる
姿に、感動もし、可愛そうにも・・・・・
自分も第3分団長として、(がんばれ、自分に負けるなよ)何時もそう思い練習風景を見ていました。
仕事から帰り、疲れた体にムチを打ちながら、一生懸命になる3分団員達にはぜひ上位入賞してもらう事を祈っていました。

(また、今度の大会は楽しみだな~)
大会当日、朝起きて見るとかなりの雨が降っていました。

ながい期間、厳しい練習をしてきた団員たちの事を思うと

(足もとの悪い中では可愛そうだな~晴れればいいのに)
そう思いながらグランドにむかいました。

大会が始まり、どこの部も漕法がうまくいってない、雨の為にハプニング続きが目立つ
審査員をしながら我が3分団が気になってしょうがない、
(後は団員達の気持ちしだいだな)

3分団、団員達の順番が回ってきた、みんなの表情が緊張しているみたいで、見ているのも可愛そうなくらいだった。
「練習どうりやれば勝てるぞ、頑張れ」と
声をかけ審査にもどりました。

大会結果が出た
小型ポンプの部が優勝、準優勝、3位
積載車の部が優勝、準優勝
我が3分団が圧勝,本当にみんな良く頑張りました。

今度の日曜日、支部大会が行われるが最後まで頑張ってもらいたい。

漕法も、一人がどんなに技術があり頑張っても、他のメンバーがやる気がなく同じ目標に向かず、頑張らなかったら、絶対にいい結果はでないし、
団員達が気持ちを一つにし、協力し合う事で勝利を手にするものです。
同じ組織という共通点
仕事でもそうですね、全員で気持ちを一つにし戦うことが勝つ為の条件ですね。

何をするでも一生懸命やれば結果として残るし、人間としていい勉強になりますね。
(あ~俺もがんばろ)
 

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2009年07月23日

十六歳の夏

今の暑い時期に何時も必ず思い出す事がある。

それは甲子園という大きな目標を持った、高校球児達の熱い戦いです。
宮崎県内でもいよいよ、強豪チームが8強決まった。どの高校が甲子園に行ってもおかしくない試合をする事だろう。
私も、高校時代甲子園を夢見た球児の一人でした。
中学時代から野球が好きで、ある私立高校に野球部監督の推薦で進学し、念願の野球部へ
私は背が高かかった為か、
監督が
「佐藤、ピッチャーをやれ」
考えてもなかった言葉に嬉しくて
本当に、この時に甲子園を目標にしました。

でも、ピッチャーになるための練習はハンパじゃなくきつかったな~
ボールを握ることなく、毎日、毎日、大型トラックのタイヤをロープで縛り体に巻き付けて、引っ張って走らさせられるだけで、喉が渇いても水分をとられない時のきつさは、忘れられないです。
でも、どうしても喉が渇いた時は、監督や先輩達に内緒で、隠れてグランドの横の田んぼの溜まり水を飲んだものでした。
結構、田んぼの水も美味しいですよ、泥臭いですけど。(笑)

今は、水分を十分とりなさいという時代なのに・・・・・・

ちょうど今頃でしたね、
我が校が、宮崎大会を優勝し、甲子園の切符が取れて、ますます、ハードな練習が毎日のように続く中、
ある日、どうしてもきつくて呼吸が出来なくなって、宮崎医科大学病院で検査したのですが、

両親もいる中で、検査の結果、心臓右心房不整脈と判断、信じられなかったですね。
医師からは
「野球は辞めなさい、続けたら・・・・・」といたい一事
テレビのドラマでよく見られる光景のようにショックが大きくて、
一瞬にして夢も目標もなくなりましたね。

この日は、延岡学園高等学校が初の甲子園での初試合の日でもあり、結局私は病院のベッドで、涙しながらの応援になりました。


ベッドの中で
(俺から野球を取ったら何が残るの・・・?)と親にも怒った事もありました。


病気が原因で、野球を辞める事になり、夢も希望も失うことになった私
強い自分だったらと後悔もしました。

この暑い中、グランドで汗と土ぼこりで真っ黒に汚れ、甲子園への目標に向かって熱く戦っている球児の皆さんの、健闘を祈ります。

ちなみに、まだ勝ち残っている我が母校、我が後輩、延岡学園ナインがんばれ。




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2009年07月16日

適切な指示

今回は、沢山の出来事があり、どの棚の引き出しから出すか迷っています。
先週、現場で昼食時間になり車を日陰に止め、可愛い嫁さんの愛妻弁当を食べようと思い
車の中から出そうとしたら無い事に気づき
(え~おかしい)
よく、考えたら
(やべー  玄関に忘れてる)
と思い出し、角の出た嫁さんを想像した。(帰ったら怖い)

そう言う事で、ある一軒のラーメン屋に入った。
辺りを見ると、お客さんは2、3人いただろうか
その中で一人の店員さんに気づいた。
年のころは50歳位の女性の方で、
何をしていいかわからないようで、ぼーっとしている。
ピーンと来ましたね。

(今日は初仕事だな)

ラーメンを運ぶ姿も、あぶなかしい、運び終えたら又、ぼーっとしている。
一杯のラーメンをすすりながら、どうしても店員さんの仕事ぶりが気になる。
他の店員さん達は、忙しそうに仕事しているのに・・・・・
誰か
(初めての仕事だから、ちゃんと指示すればいいのに)と
考えていた時に、店長さんからの指示で
「ライスを一杯、向こうのお客さんにお願いします。」

(お、指示がでたぞ~)と見ていると
返事は良かったものの、違う方へ向かわれた

(えーライスのある場所も聞いてないの?)と、思い
だんだん店員さんの事が不安になり、ラーメンの味さえわからないまま完食しました。

何か、私がおしえられたようなきがした
現場での重機オペレータの人たちに作業指示が明確に出来ているのか、又、運転手のみなさんに安全運転教育等に対しての指示が明確に出来ているものなのか・・・・・・・
考えさせられた。

また今度ラーメン屋さんに行った時には、店員さんが仕事になれ、バリバリ仕事をしているのを、見たいものだ。
愛妻弁当は食べられなかったけど、いい勉強になった昼食でした。
ブログを書くようになって、何気ない出来事がいろいろ勉強材料になりますね。

店員さん頑張ってください。そして、本当に有り難う。






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2009年07月09日

忘れてはいけない。

七月七日、七夕でしたね。
幼い時はよく、家族で笹の葉に願い事を飾りさわいでいた頃の思い出があり
それが昨年、七月七日が、あの楽しかった思い出から一転し、辛く悲しい思いでとなってしまった。
自分の部下が、十トンダンプによる転落事故でこの世をさった事です。
忘れもしません、業務安全会議中、夕方七時三十五分過ぎにマナーモードにしていた携帯が響いてきた。

それは、同じ現場で作業していた人からの一本の電話でした。
「・・・・・さんのダンプが下に落ちています」と
あわてた様子で報告をして来られました。報告を受けた時は、何で・何で・何で・・・・
頭の中はパニックで何をしていいかわからず
正直、自分は反省する事だけしか出来ませんでしたね。
(もう少し安全に対しての教育をしていれば)・・と思い現場に行きました。

現場の状況、事故の状況は
、水曜日担当の金丸所長が書かれていますように、
あの日の、事故を思い出しただけでも、今でも胸が痛くなります。

昨日は、一周忌という事もあり、何故か朝から不安な気持ちでした。
(いかんトラウマになってる
自分に、今日も安全に・安全に・・・といい聞かせ、
各現場責任者に

「今日は、去年の事故から一年だから安全に作業してくれよ」
と祈る思いで言葉をかけた。
我が社が下請している中で一番危険が隠れてる林道工事現場に足を運んだ。

林道工事現場の作業状況です。


R0013623.JPGいつ見ても林道工事は、怖い、危険と隣り合わせの作業で、一つ間違えたら谷底へ転落する。
現場打合せの中で、
「重機の足元は、十分に注意してください」と再度確認した。
するとオペレーターの一人から
「今日は、あの事故から一年ですね。気をつけんといかんね」と言われた時に
(みんな忘れず、仲間の事を覚えてくれているんだな~と、少し嬉しくも感じた。)

こうして無事、安全に七月七日、七夕の日の作業が終わりホットした。

今晩のビールはうまいぞ~




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2009年07月02日

幼い頃から

皆さんこんにちは、暑くなりましたね。
先週は悲しい出来事でテンションが下がっていましたが・・・・
今週は気持ちを切り替えてパワフルに・・・どうして土木重機オペレータの仕事についたのか、説明します。
父も以前は、土木重機(ブルドーザー)のオペレータとして、三十数年間役場の建設課に勤務していまして
私が小学校低学年の頃は、父のブルドーザーの横に乗せてもらう為に、弟とよく喧嘩をしていたのを覚えています。
三十数年前は、バックホーはそんなに使われてなく、ブルドーザーが土木現場での中心的機械だったとも聞いています。
子供ながら、ブルドーザーのあの足回りのキャタピラを見た時は

「すげー、かっこいいー」
又、鉄の固まりみたいな物が、土砂を押す時の迫力は、たまりませんでしたね~

ある日、父から
「今度、お父さんが乗ってるブルよりでかいのがくるげなゾ」
と言われた事がありました。
それは、我が家の横が、グラウンド造成工事が行われるという事で、自衛隊がブルドーザーでの作業でした。

当日4~5台の大型ブルを姿を見た時
「でけ~」
もう、興奮もので鳥肌になりましたね
毎日、学校から帰っては勉強もせずに、庭に座り、日が暮れるまでながめていましたね

毎日見ていると、自衛隊の方と友達になり
「坊主、ブルが好きみたいだね・・・横に乗ってみるか」と言われ
乗せてもらった事もありました。(感動しましたね)

と、言うことで、この仕事についたと思います。
あの燃料の匂い、排気ガスの匂い、土砂を押す姿
幼かった頃の記憶がよみがえる・・・・・
建設重機ブルドーザー最高
今回、我が社も、D155AXブル(35トン)を新規導入し岡富造成工事で活躍しています。
土砂を押す姿、やっぱりスゴイ



P1000474.jpg
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