栄高産業社内リレーブログ

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2012年08月30日

ポイント

おはようございます。
残す所8月も明日までになりましたが、雨の多い月でした。話に聞くと地元では、全く雨が降らなかった日がたったの4日しか無かったとの事でした。9月には晴れの続く日を願ってる

木曜日担当の佐藤です。

今年は、五ヶ瀬川で鮎かけをする姿がなかなか見れません、長雨で川の増水だったり、上流での夕立による増水だったりで、毎年のように五ヶ瀬川で鮎かけをされる方は残念でイライラされている事だと思います。
 
 そこで五ヶ瀬川とは、宮崎県と熊本県の県境にそびえる向坂山に発し、沢山の渓流を合わせ、高千穂渓谷を流下し、更に岩戸川、日之影川、綱ノ瀬川等の支流を合わせ延岡平野に入ります。その後、三輪において大瀬川を分派後、延岡市街地を貫流し河口付近にて祝子川、北川を合わせ、日向灘に注ぐ、幹川流路延長106K、流域面積1,820K2の一級河川です。

鮎かけポイント場所は、日之影町のカンバの瀬で、30㎝を越える尺鮎が続出していますが、その中で、過去には友釣りでの日本記録34㎝拓寸35.2㎝、425gが釣れています。

今後、天気が続き水位が安定したら、是非、日本記録更新に向けカンバの瀬でチャレンジして下さい!!

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2012年08月23日

身長

毎日、雨、雨、雨、各現場の事を考えると・・・・・・・
今年の夏は、雨のおかげで夜は涼しい思いをしていますが、どこか物足りなさも感じさせられます。
やっぱり夏は、暑い方が夜のビールがうまい     
【それかよ~みたいな】

木曜日担当の佐藤です。

年一度の健康診断に行って来ましたが、この年になっても身長がまだ伸びています。22年は183,1㎝、23年は183,5㎝、24年は183,9㎝、二度も計り直して見て頂いたのですが、間違いはありませんでした。

段々髪の毛は薄くなっているのに?とか、また、年を取るほどに身長は縮むと聞いた事があるのに?とか、色んな事を考えました。

そこで、プラス思考の佐藤君の勝手な判断結果は、
《まだ、若いちゃね~》
という結果になりました。・・・はいはい

ちなみに体重は3㎏減に、昨日のブログでもありましたが、メンバー達とのダイエットに参加させてもらえないかも、ですが応援だけでも、頑張って!!

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2012年08月16日

67回目

おはようございます。
お盆休みはいかがお過ごしでしたか?
田舎に帰られ、沢山の良い思い出を作られた方も、いる事だと思います。
私は何時もの事、アルコール漬けになっていました。

木曜日担当の佐藤です。

 67回目の終戦記念日を迎えた昨日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれましたね。
戦争の犠牲となった人々の冥福を祈り、平和への誓う式典には天皇・皇后両陛下をはじめ戦没者の遺族、およそ4,800人が参列したみたいです。追悼の対象は戦死した軍人・軍属230万人と空襲や原爆で亡くなった一般市民80万人の合わせておよそ310万人との事、参列予定者のうち3分の2が戦没者の子と孫の世代で、遺族の高齢化が進んでいるそうです。

若くして亡くなられた軍人の方達は、将来の日本の平和を願い、自らの命までも犠牲にされたからこそ今の日本があるのかもしれません。ですが戦争が無いだけで平和な国と言えるのか考えさせられます。

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2012年08月09日

安全運転

おはようございます。
毎日、ありがたい事に作業人員の段取りで頭を痛め、時にはイライラ状態になる事もあり何時も反省しています、
木曜日担当の佐藤です。

8月6日〈月)~8月12日〈日)までの7日間、宮崎県下全域に交通死亡事故多発警報令が出されています。

県下2市2町(宮崎、都城、国富町、都農町)において、24年7月30日(月)から5日連続して、交通死亡事故が4件発生しているそうです。また昨日も美郷町でも死亡事故があったみたいです。事故の特徴として、場所は道路横断中の死亡事故が3件、原因は前方不注意、安全不確認3件、年齢は、高齢者3人、若者1人

てげてげ運転に起因する高齢者被害の事故が依然として起きています。これから盆休み等を控えレジャーや飲酒等の機会が増えることから、安全運転に努め、法定速度の遵守、道路状況に応じた安全運転の徹底をお願いします。

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2012年08月02日

現場近くの地蔵さん

おはようございます。
心配していた台風10号も、何事も無く通りすぎて行きましたが、それにしても今年は雨が多い年だと感じています。

木曜日担当の佐藤です。

弊社が受注している土木現場近くに宇納間地蔵があるのですが、毎日通るたびに由来が知りたくて調べてみました。


宇納間地蔵尊の由来
平安朝の末期 天台の僧・正岸僧都が諸国行脚の祭、日向路を巡り宇納間村市木の里に梅花山宝蔵寺を建立し、地蔵尊を御本尊として祭祀された。

御本尊延命地蔵菩薩は、地区民の信仰を集めていた。古記録によれば当時の境内は八丁四方とされており、広くて立派なお堂は美くしかったと想像される。天正6年(1578年)キリシタン信者として有名な豊後の大友宗麟が日向に侵攻した際、兵火に罹りお堂は焼失したが、御本尊は山に逃れて安泰であった。このことから庶民の信仰はますます深く、お堂を建立し祭祀した。その後元禄元年(1688年)元の場所にお堂を再建して移奉した。

それから、百十数年後、徳川第11代将軍家斉(いえなり)の享和2年(1802年)、江戸市中に大火が起こり、延岡藩主内藤政韶(まさつぐ)藩邸も類焼の危機に頻した際、剃髪暁山(ていはつぎょうざん)と呼ばれていた前藩主政脩(まさのぶ)公が神仏に祈願されたところ、忽然と屋根に異僧が現れ、(古記録には「水を注ぐこと大雨の如し」とある。)ついに鎮火して藩邸は類焼を免れた。公は大変喜び直ぐに異僧の所在を探したが発見する事は出来なかった。その夜、公の夢枕に僧が現れ「我は領内宇納間の市木地蔵なり、切なる祈願により防火したり」と告げられた。
公は帰国後、市木地蔵に参拝、家紋「下り藤」を寺紋として授けられ、文化12年(1815年)秋に地蔵堂を再建し、御供田として1反2畝28歩を献納された。このことが幕府にも伝わり、徳川の家紋「三葉葵」の使用を許され、天皇家より綸旨下杯を賜った。
明治22年(1889年)老朽化により建て替えを計画し、明治25年(1892年)竣工した。明治28年隣家の火災によりお堂は類焼したため地蔵尊を一時全長寺に移奉された。
明治34年全長寺第12世哲英和尚の時、全長寺背後の鉄城山上に地蔵堂を建立し御本尊を安置して今日に至っている。
全長寺に移奉する以前の地蔵堂は宇納間字八重の市木にあったため「市木地蔵」とも言われている。
(宇納間地蔵尊由来より引用)

 
祖母に話を聞いた事があるのですが、田舎の祖父も車の無い時代に、祭りの時は徒歩で山道を一週間かけ宇納間地蔵にお札を頂きに行ってたそうです。
(大変だったろ~な)

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