栄高産業社内リレーブログ

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2011年04月28日

雨ごい

え!又と思われた都城市での家畜伝染病口蹄疫も、遺伝子検査の結果、陰性で感染でなかった事にホットしています、これで宮崎県内に口蹄疫が発生してしまったら、東日本大震災で被害に遭われた人達に、元気や、希望も分けてあげられない事態になるのは間違いないでしょう、口蹄疫ではなくて良かったと思います。
本当に安心しました、木曜日担当の佐藤です。

日曜日、一生懸命に雨ごいしたのに、どうして雨が降らないのかな~
と、言うのも先週書き込みをしました、日之影町神楽まつりがありました。
おかげさまで、まだ腰から下が筋肉痛です、最近スポーツもせずに筋肉を使う事がないので体にこたえます。

私の筋肉痛より大変なのが、こうも、雨が降らないと今から田植えシーズンを迎える農業の人達が水で困ってる事でしょう。少しは、まとまった雨を期待したいものです。

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2011年04月25日

ひなたぼっこ

 先週も雨が少ないことを書きましたが、あれからもまともに降らず見慣れた山々を見ると、『立ち枯れ』のようになっている木を何カ所も目にします。
米の作付けを極力遅らせるようにと自治体からの連絡があるほど深刻化している状況にあると、やはり人間は自然の中で活かされていると感じます。
月曜日担当の工藤です。

先日、G課長と車で国道を走っていた時
『あれ、なんけ?世話ねえと?』
という声で横を見ると、横の細い道路におばあさんが横たわっています。

『寝てるのかな?それとも…』
『ええい、行こや!』

少し通り過ぎて、道路脇によけUターンするタイミングを計っていると、私達の少し後にやはり同じように路肩によけた赤いスポーツカーの県外ナンバー車がいて、私達がUターンすると、追いかけるようにUターンして私達が止めたその少し先に、また同じように車を止めていました。

車の中から見ると、そのおばあさんは少し動いているようにも見えます。

『よし!行ってみるわ』
私が恐る々(?)近づいて
『あの~すいません…大丈夫なんですよね!?』
と声をかけると

ハァ?という感じでむっくり起き上がり

『えらい日和がいいもんじゃき、ひなたぼっこしよったつよ!アハハ』

という元気な返事に『すいませ~ん…失礼しました~』

とホッとした気持ちで車に乗り込むと、それを見届けるように先に止めていた赤いスポーツカーの女性も車に乗り込みました。

『勘違いさせんな!』
わざと悪態をつくG課長ですが、やはりなんでもなくて良かった!という顔をしています。

無事であることが当然ではあり、不謹慎ではありますが見知らぬ人と同じ気持ちを共有できたことがなんだかうれしいような気持ちにもなりました。

そういえばあの日は、人目もはばかれずについひなたぼっこをしてしまうような、ぽかぽか陽気の気持ちいい天気であったなあと思い出されます。

ありがとうございます。

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2011年04月19日

クレーン事故

昨日は、久しぶりのまとまった雨か?と思っていたら、すぐにやんでしまって、期待した雨量にならず、水不足が心配ですね。
火曜日担当の金丸です。

また、昨日、痛ましい事故が起こってしまいました。
小学生、6人を死亡させた、クレーン車の暴走事故、原因は居眠り運転とか。
朝、会社を出て700mの所で事故を起こしているのですから、前夜、寝ていなかったんだろうと思います。

クレーン車を保有する、我が社にとっても他人事ではなく、この欄にも何回も、書いていますが、
“無事故は財産”  先日の経営計画発表会の前に、今年度の安全衛生計画を決め、研修をしたばかりなので、よけいその思いが強く残ります。

地震、噴火、水不足 など自然相手では手の打ちようもありませんが、せめて、会社業務では事故のないように
願いたいものです。



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 延岡市は今日まで九州三大祭りの一つ 「大師祭り」が
開催されています。
地元では通称「おだいっさん」と呼ばれ、この時季は雨にたたられることも多く「雨大師」と言われています。
数日前の天気予報は【雨】 「やっぱり、おだいっさんは雨だね・・・。」という会話があちらこちらで聞かれましたが、今年は祭りの3日間は雨も降らずに過ぎようとしています。

日曜日担当【KUMI】です。今週もEIKOブログよろしくお願いいたします。

昨日、夕方より全ての業務を終え栄高産業全員が集合し「第23期経営計画発表会」を開催しました。
第1回目の頃を振る返ると、社長が開催を決断し幹部に伝えると、開催することの意味も方法も分からない事だらけなのでかなりの反発と抵抗がありました。それでも社長は意志を曲げず、幹部に計画と達成手段を練らせ発表会へ立たせました。あの日から、開催4回目を迎えました。

社長から今期、会社の目指す目標が発表されました。昨年度は目標達成とならず、大きな反省と課題を背負う年でした。「すべては社長である私の
責任」ときっぱり言い切った姿が、今年への覚悟と決心を自らに言い聞かせるようにも見て取れました。今期の道末を構想しながら、夜通し目標を練り、眠れない夜を過ごしていたのを隣で見てきました。発表会の朝、「緊張とプレッシャー」から頭痛と戦いながらも、無事、全員の前で今期の取り組みを述べました。先行き暗いけれど「元気」と「やる気」とを、自らが発して乗り越えていこうと自分の言葉で訴えました。
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工藤土木部長はいつも冷静沈着。けれど、足はがくがく、マイクを持つ手も少々震えていました。しかし、この震えは人前に立つことの緊張からではなく、今期戦うことへの意気込みと、土木部全員に訴える力が身体全体から発せられるものからだと思いました。
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後藤課長は幹部最年少。いちばんの努力家。計画考案中に何度も社長にやり直しを命じられ、それでもめげずにこれでもか、これでもかと食らいついてきました。額から流れるたくさんの汗はクレーン重機課みんなの目にもしっかり映りました。
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佐藤次長は持ち時間を5分オーバーしての熱弁。現場を抱えながら、発表会までの準備は大変だったと思います。けれど、少しの緊張も感じさせることなく堂々たる発表でした。ダンプにデジタコを導入して数ヶ月。今期、デジタコを装着したことでどういった結果が出るのかが期待されるところです。
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金丸部長は総まとめとしての営業部門を発表。幹部最年長ですが、若手に負けず遅くまで会社に残って資料作成。発表会終了後、いちばんホッとしてうれしそうな表情を浮かべ幹部ひとり一人の労をねぎらっていました。
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発表会終了後、父である会長から「前年度の検証が出来るようになったな。検証は大事だぞ。ううーん、よかった。ごくろうさん。」と言って頂きました。
上司である父からの言葉は一言ひと言が心に刻まれます。時には、大喝であったり、激励であったり・・・。しかし、こうしたありがたい存在があるからこそ何年も先を見て走ることが出来る私たち。
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今年1年も、たくさんの汗と涙を流しながら掲げた目標達成目指して努力あるのみ。
がんばろう!がんばろう!がんばろう!

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2011年04月14日

結果が出てます。

おはようございます。
心を癒やしてくれた桜の花も散り、葉桜になってしまいましたね~
少し残念ですが、又、来年春を楽しみにしたいと思います。
木曜日担当の佐藤です。

昨日、自分にとって感動をさせられた事がありました。
それはある建設業者さんからダンプの依頼があった事なのですが、何が感動したかと言いますと、私たちは、見積を提出し仕事をいただく方で、お客さんの所へ足を運びお願いするのが当然です、それがある建設業の専務さんが忙しい中にも足を運んでこられました。

私から、専務さんに携帯でアポをとり、お伺いのお願いをしたのですが、逆に断られ
(こちらから行かせてもらいます)と言われました。
お会いして話の中で
(見積を依頼しお願いしたのは、うちの方ですので足を運ぶのは当然です)
と言われ、この言葉を聞いた時は心をうたれました。

(仕事をいただこうとお願いしてるのはこちら側なのに)

過去2回ぐらいダンプを使っていただいたのですが、何社か見積がでている中、その建設業の部長さんが
(栄高産業さんいいよね~)と言っておられたそうです。

数時間後、連絡があり(仕事お願いします)、との嬉しい連絡がありました。
運転手さん達の日頃からのマナーや、運転技術が認められての受注だったと思います。

教育者の立場は、一人ひとりを大事に育て教育をし、お客さんに安心できる人達を作ることが大事だと思います。

まずは自分から・・・・・

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2011年04月12日

あー勘違い②

おはようございます。
火曜日担当の金丸です。

家内の勤める幼稚園での出来事。

「おばちゃん、今日のおやつは何?」

「きょうは、むしぱんよ」

「ふーん、どんなむしがはいっているの」

「うーん」

思わず笑ってしまいましたが、その話を聞いていて、以前、このブログに登場した、すうどん を思い出しました。

自分も今の時期に歌われる「おぼろ月夜」の、~やまのは かすみふかし~ の「は」は葉っぱの葉だと思っていました。端だとわかるまでだいぶ時間がかかったような気がします。

言葉やひらがなでは、誰にでも勘違いをした経験があるでしょう。
思い出すたび、思わず、ほやっと笑ってしまう事。

暗いニュースが多い中、久しぶりに笑いのある会話でした。

今週は、社内の大イベント、経営計画発表会が予定されています。勘違いなく、全社員に浸透するような
発表会になれば、思っています。



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2011年04月09日

ボランティアとは?

チーム大阪.JPG  南相馬市災害ボランティアセンターでは小学5年生になった女の子から70歳を過ぎた爺さんまで老若男女様々な方が活動しています。

小学5年生の彼女の担当は、送られて来た救援物資のチョコレートやお菓子などを小分けする「お菓子班長」。
班員に2名の高校生男子がいます。子供ならではの発想で「女の子用パック」や「お年寄りパック」など、菓子の種類で分けていきます。

彼女のお母さんは社会福祉士で、職場が閉鎖状態なのでここでボランティアをしていて、最初彼女は自宅で一人母親の帰りを待つ状態でした。今はボランティアをしながら、福祉会館の和室でボランティアメンバーに勉強を教えて貰ったり、本を読んだりするようになりました。


神戸から来たお爺さん。毎朝ガソリンの調達に出かけ、黙々と我々の活動車両にガソリンを入れ続けます。何処に寝ているのか尋ねると「いや、寝るところはあります」としか言いませんし、燃料代の心配を口にすると「義援金がありますから」としか言いません。


大阪から来た「チーム大阪」。飲食店を営むネパール人男性と接骨医院を営む2名チーム。2トン車に食料とドラム缶2本の軽油をぎゅうぎゅう詰めにして駆けつけてくれました。





3月27日から活動を開始した私は、、先に来ていたJという男の熱い思いに感動しました。「困っている人の力になりたい」という思いを感じたからです。

私は今後のボランティア活動の統制をとる必要性を考え、そのJをボランティアリーダーに指名しました。


しかしある日、別行動をしていたJと一緒に被災地を回っていて、彼のボランティア精神を疑う様になりました。


被災者に救援物資を渡し、「自分は東京から来ました!彼は(私を指さし)沖縄から来たんです!みんなで頑張りましょう!」と握手をし、被災者を泣かせるのです。


IMGP4985.JPG津波に流された集落跡で、ご夫婦が泥の中を歩き回っていました。流されただろう家族を必死に探しているのだろうと思いました。

通り過ぎようとしたら、いきなりJがその夫婦の側に走って行きます。

「ナベちゃ~ん!ナベちゃ~ん!」と大声で呼び、手招きします。私は彼のボランティア精神を疑っているので無視して行こうとしました。


「ナベちゃ~ん!このご夫婦はさ!長岡から来て、流された娘さんを探しているらしいよ~!」



デリカシーのかけらもない男だったのです。


私は仕方なく、そのご夫婦に近寄りました。お母さんがポツポツと話を始めました。長岡に住む自分たちが被災した時に、娘とその旦那さんが駆けつけてくれたので、今回の地震後にこの地に嫁いだ娘に電話したけれどと連絡が取れず、現地に飛んできたら家の跡形もなくなっていて…探していると。



お母さんが話をしている時だったので、こっそりビデオカメラを回しているJを殴りませんでしたが、私はこの偽ボランティアを追放することをこころに誓いました。


翌朝、このJをリーダーから降ろし、32歳の若者をリーダーに指名しました。リーダーを降ろされたJは日増しに我が儘になり、社会福祉協議会のボランティアセンター運営にことごとく反発しました。何かを言えば「俺は命を賭けている」とぶち切れ話が出来ません。

4月に入り、全く組織とは別行動となったJが驚くべき行動を取り始めました。夜中に福島第一原発の門までクルマで近づきビデオ撮影。その後近くの道路でフラフラ歩く男を乗せて帰ってきました。自慢げに原発の警備が手薄なこと、男性を放り出した東電を批判しますが、誰にも相手にされません。が、スクープだと信じた福島テレビがその画像をニュースで流したのです。

更に翌朝ミーティングでは意味不明な演説を行い、社協の担当者を気に入らないと恫喝しました。


国の方針に従うと原発からの20km圏内には立ち入れません。でも、そこから動かない、動けない住民は存在します。何故、強制的に立ち入れないようにしないかというと、「人間の尊厳」の問題があるからです。

自己満足しか出来ないJのような偽ボランティアには理解できないでしょう。独りよがりな行動がどんな問題を引き起こすのか、考えるアタマもないのです。


私は沖縄県警警視の親友に相談し、6日に福島県警本部に出向きました。警察が本気で怒るとどうなるか解るでしょう。



そしてJが所属する右翼団体があるとい情報を元に、東京上野にある右翼団体本部に出向きました。状況を説明し、アホな活動を止めさせるようお願いするつもりだったのです。

状況説明が終わると統括本部長が「どこにでも馬鹿がいるんですね~」と人ごとのように言います。アタマに血が上った私は「何をいうんですか!団体のメンバーなら何故活動を止めろと言わないのですか!」と言うと、あっさり「渡辺さん、うちにはこんな馬鹿はいませんよ。金のない団体ですけど、まじめにやってますよ」と言います。

「!えっ!所属してない?」

アタマが真っ白になった私は非礼を詫び、外に出ました。ガセネタ。疲れすぎて自分の車を何処に停めたのか解らず、上野の一角をぐるぐる20分も回りました。


翌朝、目が覚めて冷静になって電話をかけました。「全日本愛国者団体会議」統括本部長吉田さんにです。ステレオタイプに右翼をみていて失礼な行動をとったことなど謝罪しました。

「ハハハ。みんな、右翼をそう見るんですよ。気にしないでください。明日は炊き出しボランティアで焼きそばを焼きに行こうとトラック3台準備しました。渡辺さんも頑張ってください」。


考えればそうだ。右翼が戦闘服姿、それも街宣車の前で焼きそばをやいても、怖がって誰も食べにこないだろう。

一個人に戻り、ボランティアに参加する。想像もしなかったことを初めて知ったのでした。



ボランティアとは?

ボランティアのカタチとは?

考え続けなければ、「誰かの役にたちたい」という初心は劣化するでしょう。

だからこそ毎日考えないといけないのだと思います。











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2011年04月04日

天国と地獄

 今日の午前中、宅配便が営業所止めで届いたと連絡があり、軽トラを調達し隣の相馬市へ行きました。活動している南相馬市へは暗くなって到着したので通過した相馬市の状況は判りませんでした。

10km程走り、相馬市内に入って衝撃を受けました。

ラーメン屋がごく普通に営業し、ホームセンターでは宝くじまで売っていました。


原発から30km圏の内と外。天国と地獄の境目がそこにありました。


普通の生活がおくれる相馬市民。屋内退避を命ぜられているのに配給物資を受け取るのに3時間も屋外に並ばなければならない南相馬市民。そして20km圏内から避難しないと国から見捨てられた南相馬市民。



昨日、災害ボランティアセンターのある福祉会館にトイレを借りに来た陸上自衛隊第一空挺団の二等陸尉に「あなた方の任務は何ですか?」と質問してみました。「我々の任務は南相馬市から要請があった時に市民を避難させる民生支援です」と答えました。

「20km圏内の小高地区に寝たきりの母親と娘さんがいます。一緒に行って避難させることは出来ますか?」と聞くと、「我々第一空挺団は20km圏内に入ることは許可されていません。必要があれば南相馬市から上級部隊へ連絡が行き、別の部隊が避難させることになるでしょう」との話でした。

陸上自衛隊の誇る先鋭部隊である第一空挺団。命令ひとつで敵地へパラシュート降下するエリート部隊ですから命令がなければ延々と待機するしかありません。



しかし、住民は待機しているあいだに餓死するでしょう。




ボランティアに志願してきた京都大学大学院原子核工学専攻の学生がいて、放射性物質に関するレクチャーを受け、そして安全性についての意見を求め、私と東京から来たJさん、地元のNさんと3人で20km圏内の地区の家を一軒づつ回りました。その結果、寝たきりの母親と娘さんの所在を確認しました。


国も県も市も把握できない情報はボランティアでしか集められないのです。


私がボランティアとしてやりたいのはボランティアを組織化して効率をアップさせることです。リーダーを指名し、ボランティアの適性を見抜き、才能を発揮できる配置を行い、新しく参加したボランティアでも即戦力になるシステムを構築することです。現地に来て8日目。ようやくカタチになりつつあります。

すでに収集したデータは南相馬市役所から使わせて欲しいと言われる程精度が高いものです。


あと数日しかいませんが、最後までやり抜くつもりです。

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2011年04月04日

4月になり

 4月に入ったというのに朝の寒いこと。
昼間との温度差が激しいので、皆さん体調管理に注意してください。
月曜日担当の工藤です。

娘がこの春より進学することになり、親元を離れて生活します。
その道に進むことを目標に努力を重ねて念願が叶い、多くの方々からお祝いの言葉を頂くとやはりおめでたいことなんだと思いますが、一度も親元を離れた生活をしていない娘の日々進む荷造りを見るにつけやはり寂しさを感じています。

あれもいるよね。これも必要だ。と一生懸命『追い出す』段取りを複雑な心境でしていますが、それで紛らそうとしているのかも知れません。
まぁ、あとできることは、いつでも気楽に帰ってこられるように準備を整えて待っているだけです。

新たな目標を持ち新しい環境に飛び込むわけですが、今までの多くの出会いを糧とし、更に飛躍してくれることを願います。
(自炊だけど大丈夫!!…かな?)

そしてやはり、目的をもって今までの環境を変えるということを勇気ある行動で行っている渡辺さん。
現地でしか感じることのできないであろう心境が文章の中から伝わり、私達の想像を超える状況であることが間接的ながら感じることができます。

まだ寒い日があるかと思います。どうかもっとも大事な自分の身体を大切にしてください。

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2011年04月02日

「豊かな日本国」

 なかなかブログ更新ができずご心配をおかけして申し訳ありません。ようやく南相馬市社会福祉協議会ボランティアセンターの動きが円滑になり、多少余裕ができました。

自宅のある高千穂町を出発したのが3月25日。その夜は滋賀県大津市に泊まり、翌日26日19時に福島県南相馬市到着しました。

先ずは情報を得ようと南相馬市へ行き、ボランティアは南相馬市社会福祉協議会へ集まることを知りました。その後、クルマを福祉協議会の駐車場に止め、車中泊。

27日の朝、ボランティアの登録を済ませました。

その時はまだ4名しかボランティアはいませんでしたが、夕方には全国各地から集結し、10名程になりました。

聞いたところでは、27日の時点で相馬市のボランティアは700名程いたとのこと。福島第一原発から20km圏内地域を有する南相馬市では放射能汚染を恐れてか、その程度の人数しか集まりませんでした。


現在は25名程になり、ようやく組織として本格的に活動できる体制となりました。


この南相馬市社会福祉協議会ボランティアセンターでは地震、津波、原発事故で自主避難できないと南相馬市へ申請のあった高齢者、障がい者の被災者約350名のリストを元に安否確認を行い、食料や水、薬を届ける役目を担っています。


我々ボランティアグループは先ず南相馬市を5ブロックに分割し、2名一組で各被災者のお宅を訪問し、情報収集にあたりました。現在でもスーパーや商店は閉店したままで、市民は毎週火曜日と金曜日の12時から15時までの生活物資配給に3時間も並ぶ状態。我々が活動を始めた段階では社会的弱者と呼ばれる人たちは事故以来食料がつき、なかには6日間も食事をしていないお年寄りもいました。

我々は隣にある救援物資集積所である体育館から食料などの生活物資をボランティアセンターへ移し、安否確認と物資供給を同時に行うことにしました。



被災者へ渡すことができる物は水やカップ麺など質素なもの。それを手渡すと被災者は号泣します。「週一回回ってくるからね」と伝えるのが精一杯。


この現実は一体何なのか?日本国は豊かな国ではなかったのか?



涙が止まりませんでした。


津波で倒れた鉄塔



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2011年04月02日

コッコッ

私の住む高千穂でも、桜があちらこちら咲き始め、花見をしながら(一杯やりたいな~)と考えている土曜日担当のGOTOです。

いよいよ23年度が始まりましたが、不安な事だらけで何から手をつけて良いのか正直わかりません

先月に起きた東日本大震災の事や23年度の仕事の受注がどれくらいあるのか、問題は山積み状態です。

そんな日々の中、毎日、家事をしてくれてくれる嫁さんをみていると、朝は5時に起きて弁当のしたくや朝食の準備と色んな家事をこなして、仕事に向かい、仕事が終わって帰ってくるとまた、家事の色んな事をこなしていますので、一時も息をつくまもなく動き回っています。

家事を給料制にしたら、嫁さんの
しかし、ここ何日かは妻の体調がすぐれないので、今までも家事を手伝っている、つもりで居たのですが、今までしていない家事をしてみると、私は要領が悪く,時間ばかり使ってしまい、なかなか上手くできません。

(不安や不満ばかり嘆いているより自分なりに出来る事をコッコッやれねばと)日々、家事を頑張ってくれている嫁さんの姿を観て改めて思いました。



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