栄高産業社内リレーブログ

 土曜、日曜と延岡市役所前にて「のぼりざるフェスタ」(物産展)が開催されています。しかしながら、雨脚も強く外に出るのも大変そうです。参加される皆さん、出店中の皆さん風邪など引かぬよう気をつけてくださいね。

日曜日担当【KUMI】です。今週もEIKOブログよろしくお願いいたします。

先週、あまりにも突然すぎる悲しい知らせが飛び込んできました。
主人の高千穂高校の同級生でもあり、由緒正しき、高千穂神社のご長男であった彼の訃報は誰も信じることができませんでした。「くも膜下出血」と診断され熊本県の病院に搬送中、県境を過ぎた頃、息を引き取ったそうです。
高千穂の風土と立派なご両親様に育まれた温厚な人柄は多くの人々に親しまれておりました。
主人と結婚してから、初詣には毎年、高千穂神社に行きます。大勢の人で賑わう境内で「おーい、修一!」と声をかけてくれたものです。七五三祝いなどの家庭行事はもちろん、会社行事である新年初参り祈願や水神祭のお清めでも高千穂神社とは深いご縁を頂いております。
そんな中で、信じられない気持ちを持ったまま葬儀場に主人とともに出向きました。地域の方はもちろんのこと、故人を慕う人々が全国から参集、会場にあふれんばかりの人、そして、弔いの生花。受け入れがたい悲しみをこらえつつお別れの儀式が執り行われました。
故人の生きてきた証ともいえる弔辞、終わりに奥様そして、三人のお子さんがパパに向けてのお手紙を読まれました。千葉県からこの高千穂に嫁いでこられた奥様。冒頭、「あなたのそばにずっといたくて結婚をしました・・・。」と始まり、出会いから十年という月日を思い出の場面を丁寧にめくるように語り始めました。家庭でのこと、神社でのこと、地域のこと、そして、ご両親、愛する子ども達のこと、言い尽くせないほどの思い出深い日々。
子ども達の大好きな嵐の曲の歌詞を引用し、述べられた言葉が頭から離れません。
「悲しみを分け合うより、喜びを分かち合えないほうが悲しい。これから子どもの成長の喜びをあなたと分かち合えないのがつらい・・・。」
父親を上司、師匠として仰ぎ、世代交代これからという時、また、同じくらいの幼子を持つ親としてあまりにも似ている境遇に心情が痛いほど伝わり、隣にいた主人がハンカチで目頭覆う姿に続き、私も涙があふれました。

ここに故人への哀悼の意を表し、お父上(高千穂神社宮司様)の会葬御礼の言葉を載せますことお許しください。

「天上から雲海の写真を撮ってください・・・」
小さい頃からひょうきんで、明るく優しい性格。思いやりに満ちた息子でした。大学卒業後はしばらく東京におりましたが、やがて自分の好きな道を断念し、私と神社のためにこちらに戻ってきてくれた息子。地域のための神社づくりに大志を抱き、地元の方との交流を重んじ自分はさておき皆様のお気持ちを何より大切にしてまいりました。三人の子に恵まれ、忙しい日々の中でも限りない愛情を注ぎ、懐深く成長を見守る様子は、子煩悩な父親そのもの・・・。唯一の楽しみは写真で、いつか写真集を出すその日を夢見て撮りためておりました。お人好しが過ぎるくらい、人様のために尽くしてきた人生。短くも実りある誠実な歩みをたたえ、家族一同 心を込めて見送ります。
平成二十三年十月二十四日、長男 満三十九歳にて生涯を終えました。生前のご厚情に深謝申し上げます。


はかなくも散りゆく生涯終わりの時
生かされる日々に感謝し、大切に生きていこう

合掌・・・

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2011年10月27日

関西町人会

おはようございます。

木曜日担当の佐藤です。

我が都、日之影町の関西町人会(大阪)から神楽公演の依頼があり行って来ました。関西町人会の会員の方達は、50才~75才位の方達約80名の主席でしたが、町人会会長のお話では現在500人の会員がおられるとの事でした。
 
親里離れ、関西生活30~50年、久しぶりに見た神楽に沢山の人達から感動をして頂き
『ありがとう、ありがとう』と言っておられました。中には、神楽を見ながら少年時代を思い出し、
『田舎では、子どもの頃両親とよく神楽を見に行ったものです、涙しました。』
と言う方達や
『太鼓の音を聞くと、田舎での沢山な出来事を思い出しました、本当にありがとう』
と言って頂きました。
 
私がまだ、子どもの頃に田舎を離れられた人生の先輩達に、こんなにも感謝して頂いた事に、本当にありがたく感じました。

神楽を通し、私たち田舎に残る若者たちが地元を守り、親里離れ暮らしている皆さん達の為にも、今以上頑張らなければと教えられ、元気ずけられた気がします。

逆に、こちら側が皆さんに感謝したいくらいで、神楽を続けていて良かったと(継続は力なり)実感いたしました。
 
関西町人会の皆様、又、T様、K様二日間大変お世話になりました、ありがとうございました。
 
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 みなさん こんにちは~
 えらい寒くなってきたのぉ~

 さて、今回は河内工場の工事以降の身のまわりの出来事をダラダラ書いてみたいと思います。

 まずは重大ニュースから…
 
 一、腕時計を無くしました (アル○ーニ)
 二、財布を無くしました
 三、名刺入れを無くしました
          ・
          ・
          ・
   家族からの信用をなくしました

 と、わずか半月足らずのうちに次から次に無くしてしまい…どんなに考えても思い出せません。(信用をなくしたのは今に始まったことではないんですけどネ

 オレのドジ話はどうでもいいッスね…

 今月中旬には高3の長男の推薦試験があり、なんとか合格し、来春からは福岡の学校に行くことになりました。

 同時期から「米あやし(稲の脱穀)」を始めました。 古くなって使用していない機械をタダ同然の<超格安>で譲っていただき、後輩の修理屋がタダ同然の<超激安>で修繕してくれたお陰で、毎日帰宅してから少しずつヤッちゃいました。雨に濡らす事もなく終わりホッとしています。

 ニンニクも900ちかく植えました。一斉に芽が出てきました。(来月は追肥をあげなきゃ
 白菜も葉を巻き巻きしています。(予防しようか迷ってます。)
 虎豆も収穫間近…(支柱代わりの竹の枝で毎回顔に傷が入ります。)
 ユズの秋肥やりも終わりました。(来春植え付け分を注文しなきゃ…)
 今年は銀杏も生ってくれたのでナイスな香りを楽しみながら…

 時期を延ばしてきた高菜も、そろそろ蒔かなきゃ…
 
 来月末にはエンドウ豆を植えるので、そろそろ土作りに入ります。

 お茶の管理方法を習いに行きましたが、ほぼ一年中手がかかるみたいです。(大変だ~)
 ソバは来月10日過ぎあたりから収穫になりそうです。

 先日、ちぎった柿のお裾分けで隣りに言ったらオッちゃんが

オッちゃん「わが、毎晩のごつ畑におるが見ゆるとか?」
 オレ   「うん、見ゆるよ」 
オッちゃん「猪が畑を荒らしよるごつしちょるぞ」
 オレ   「石やら投げつけなんなよ」
オッちゃん「がはは、ワガも変わった奴じゃな」

 誰に似て変わり者になったのか母ちゃんに訊いてみよ~っと。。。

 【土の香りのする男】を目指し、茶園のカズラ取り、除草、秋肥やり、に頑張ってみちゃいます。


 また来週お会いしましょう。

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 朝晩めっきり冷え込んできました。 皆さん、ご機嫌いかがですか?

 9/9より取りかかっておりました河内工場の解体、片付け作業が先週の14日に無事終了いたしました。約一ヶ月の作業でしたが、日に日に建物が倒れて無くなっていくのが寂しくてたまりませんでした。

 工場長、課長に苦労話などを訊いてみると、「冬場の河内は寒過ぎて、生コン打設では道路の凍結が怖かった。毎朝といっていいほどプラント設備も凍ってしまい対策が大変だった。」など語ってくれました。もちろん、35年もの間には沢山の出会いや、辛い事、楽しい事(もちろん辛い事の方が多かったでしょうが…)などがあったと思います。 今月末には送別会も計画されているので、また色んな話を聞かせてもらおうと思っています。(お互いが酔う前に話さなきゃ(笑))

 これまで佐藤工業生コン㈱ 河内工場がお世話になった皆様方、誠にありがとうございました。衷心より御礼申し上げます。


 寒暖の差が大きいので、どうかご自愛くださいませ。
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2011年10月17日

収穫の秋

 絶好の運動会日和となった日曜日は、あちこちで運動会が開催されたようです。
運動会日和の日は『米刈日和』でもあります。
月曜日担当の工藤です。

私の地区でも、雨が降った関係で快晴となった日曜日は、米刈のピークでした。
早朝より、バインダーやコンバインのエンジン音が聞こえて、なんとなく気持ちも焦ってきます。
急峻な場所での田んぼですので、細長い田んぼが多く大変で、機械化も中々進みませんが、なんとしても1日で刈り取りを終わらせようと走り回ります。

コンバインで刈り取りして、軽トラックの荷台に専用の籾運搬装置に移し、近くの乾燥機に運び投入する、という工程の繰り返しですが、現場の仕事と同じで、作業手順や安全指示事項があります。

機械操作はほとんど一人でしましたが、焦る気持ちもあり、安全レバーのセットを忘れたり、機械の設定を忘れたまま作業を開始したりと、いわゆる『ヒヤリハット』が、たくさん出てきます。

会社の現場では持っているはずの緊張感が、やはり家での作業となるとその意識が薄くなってきていることが自分でも分かります。

ケガした痛みや、まわりに掛ける迷惑はほとんど変わらないはずですが、どうも気がゆるみがちです。

新聞でも農作業の事故がよく報道されているように、けっして他人事ではないのですが…。

『自分の身は自分で守る。』

安全の鉄則はやはりどこででも生きています。

御安全に!

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2011年10月13日

三田井親武

おはようございます。
木曜日担当の佐藤です。

今回私の住む都、宮水神楽保存会に神楽の依頼があり、毎晩のように宮水神社で練習が行われています。
少年時代は良く、ここで良いことや悪いことをして遊んだものでしたが、今では、ほしゃどん(神楽の舞い手)として通うようになりました。
(恩返しをする為にも) ???

集落の人達はこの神社を親武さんと読んでおられます。
宮水神社(親武さん)の由来は神社にも書かれています。

その由来をネットで調べましたが
(う~ん神社に書かれている事と同じだな~)

宮水神社の位置です。
方財地図

なぜ、集落の人達が親武さんと言うようになったのか、親武さんの由来を紹介します。

親武さん、宮水神社建立の由来
天正19年、当時延岡城主高橋元種は、何としても西臼杵地方を手に入れたかった。しかし、そのためには西臼杵地方を治めていた三田井親武をどうしても討たなければならなかった。そこで元種は、親武の家来、甲斐宗攝(当時中崎城主)に謀反を起こさせ、9月27日真夜中、仲山城(現在の向山)にて三田井親武を討ち取らせた。宗攝に討ち取られた親武の首(頭)は、29日舟の尾に送られたが、家来の者が首を持って宮水まで来ると、首が重くなり、歩くことも出来なくなったので、このことを本陣に注進したところ、不思議なことであると宮水で首実検が行われた。首実検の終わった親武の首は、このあたりの住民が貰いうけ、泣く泣く近くの森に葬った。その後享和3年(1803)三田井氏の支族、興梠権兵衛重綱、庄屋甲斐又兵衛、中村忠兵衛が協議して宮水の首塚に石碑を建立した。安政2年4月、中村忠兵衛の曾孫、中村寅五郎が主催して、高千穂18ヶ村の庄屋に働きかけて寄付を集め、三田井親武を祀る親武大明神の神社(宮水神社)を建立した。明治15年8月、周辺数社を合祀し、現在に至っている。

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2011年10月12日

代打の工藤です。

今村さんのブログを楽しみにしていた方ごめんなさい。
代打の工藤です。

リーディングヒッターの今村さんの代打で少々気が引けますがよろしくお願いします。
といっても、彼は病気でも何でもなく普通の出張なんで、たとえ事務所にいなくてもアップする方法はありますが、まぁそれはそれで素直に代打の打席に立ちます。(もう既に素直じゃない!?)

先週の彼のブログにもありました河内工場の解体作業がほぼ終わりを迎えようとしています。
数十年前に、おそらくは巨大プラント新設!というような感じで落成し、多くの構造物の建造に貢献してきた『彼』が、その役目を終える姿は、どこか人間のそれと重なる印象を受けます。

あ~すいません。
代打でした。 
今村さんのようなアップテンポのブログを書くはずが、いつもの『しちくじ~』ブログになってしまいました。

河内工場の跡地は、こんどはまた別の形で利用される事になっていますので、そちらではまた新しいスタートとなります。

今村工場長。
あと少しで、完了ですね。
無事故での作業完了を目指しましょう。
ありがとうございました。

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2011年10月10日

高千穂建国祭

ナスの収穫が終わり、たわわに実っていた栗の収穫も終わり、そして米刈りの季節となり、もうすぐ『冬』を感じさせる頃となりました。
時間が過ぎていく速さに驚きながら、いやいや自分が遅いんだ。と反省しきり…。

月曜日担当の工藤です。

アップル社のジョブズ氏が亡くなった報道があった日に、先週も書きました傘寿を迎えた父が、
『こんじょが考えたスマートフォンというのが、えらい売れちょるらしいな。』
といい、指を動かしながら、
『こうするだけで、画面が動くげな。』
とエアーフリック?までしているので、

『一応もっちょるよ』
と、数世代前のiPhoneを見せて、説明したら

『おー指が動くのと同じごつ動くちゃなあ』
『指で文字が大きくなるならメガネもいらんなぁ』

父とスマートフォンなどは、完全に別世界のモノと思っていて、手に持って操作する姿を見ても、なにか違うよな?と思える姿でしたが、
いずれ自分も、最新型の電子機器を眺めるだけ。という日が来るのでしょう。
怖い感じがします。

今日、10月10日は、高千穂建国祭りです。
我が社からも、地域を盛り上げようと、選抜?メンバーが参加しています。
どうぞ遊びに来てください。

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 雨の水曜日になりました。
 みなさん、ご機嫌いかがですか?

 以前のブログの中で出てきた解体作業…実は自社の工場のことだったのです。

 35年の歴史に幕を閉じることになり、会長をはじめ伊藤工場長、高橋課長、事務の興梠さん、河内工場に関わってこられた諸先輩方の想いは若造の私には計り知れないモノであります。工場が違ったため今まで一緒に仕事をすることは少なかったのですが、解体工事に通い一緒に仕事をさせていただく中で、凄いと思う【新たな発見】も沢山ありました。

 工事の方もおかげ様で事故もなく最終段階に入りました。
 残り、約一週間…河内工場でいろんな話をしたいと思っています。

 来週は会話の中から抜粋し、皆様への御礼と合わせご紹介出来れば…と、考えております。

 人の『想い』とは目にも見えず、機械で測ることもできませんが、実に奥の深いモノ と、最近よく考えます。

 来週をお楽しみに~
 

 ストレス解消にはクリックの連打が効果的ですよ (笑)

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2011年10月01日

やな漁解禁

おはようございます。
明日は日曜日、もう一踏ん張り仕事、頑張りましょうね。
今週は、土曜日担当のG課長が出張の為に書くことが出来ませんので、
ランナー交代で代走(代送)木曜日担当の佐藤がお送りします。
(わかりました~)(-_-;)

 食欲の秋とも言われますが、やっぱりこの時期に、季節を味わいながらおいしい食べ物と言えば、産卵の為に川を下る子持ち鮎ではないでしょうか。

今日から、鮎やな漁が解禁と言うことで、五ヶ瀬川沿いに北方町の、川水流鮎やな場は既に営業中、
同町、角田の矢野あゆ場は3日から、三須町の、はなやぎは7日に開店するとの事、
又、本日11時オープンする五ヶ瀬川下流から分かれる大瀬橋上流で、鮎の里や、
本日5時オープンする大瀬大橋そばの、延岡水郷やな、計5カ所でおいしい鮎料理が食べれるとの事

この時期にしか食べられない子持ち鮎、家族総出で五ヶ瀬川で育ったおいしい鮎料理を食べに出かけてみては!

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