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栄高産業スタッフブログ パワフル&ハートフルでタグ「「東北関東大震災・福島県南相馬市見聞録」②」が付けられているもの

2011年04月02日

「豊かな日本国」

 なかなかブログ更新ができずご心配をおかけして申し訳ありません。ようやく南相馬市社会福祉協議会ボランティアセンターの動きが円滑になり、多少余裕ができました。

自宅のある高千穂町を出発したのが3月25日。その夜は滋賀県大津市に泊まり、翌日26日19時に福島県南相馬市到着しました。

先ずは情報を得ようと南相馬市へ行き、ボランティアは南相馬市社会福祉協議会へ集まることを知りました。その後、クルマを福祉協議会の駐車場に止め、車中泊。

27日の朝、ボランティアの登録を済ませました。

その時はまだ4名しかボランティアはいませんでしたが、夕方には全国各地から集結し、10名程になりました。

聞いたところでは、27日の時点で相馬市のボランティアは700名程いたとのこと。福島第一原発から20km圏内地域を有する南相馬市では放射能汚染を恐れてか、その程度の人数しか集まりませんでした。


現在は25名程になり、ようやく組織として本格的に活動できる体制となりました。


この南相馬市社会福祉協議会ボランティアセンターでは地震、津波、原発事故で自主避難できないと南相馬市へ申請のあった高齢者、障がい者の被災者約350名のリストを元に安否確認を行い、食料や水、薬を届ける役目を担っています。


我々ボランティアグループは先ず南相馬市を5ブロックに分割し、2名一組で各被災者のお宅を訪問し、情報収集にあたりました。現在でもスーパーや商店は閉店したままで、市民は毎週火曜日と金曜日の12時から15時までの生活物資配給に3時間も並ぶ状態。我々が活動を始めた段階では社会的弱者と呼ばれる人たちは事故以来食料がつき、なかには6日間も食事をしていないお年寄りもいました。

我々は隣にある救援物資集積所である体育館から食料などの生活物資をボランティアセンターへ移し、安否確認と物資供給を同時に行うことにしました。



被災者へ渡すことができる物は水やカップ麺など質素なもの。それを手渡すと被災者は号泣します。「週一回回ってくるからね」と伝えるのが精一杯。


この現実は一体何なのか?日本国は豊かな国ではなかったのか?



涙が止まりませんでした。


津波で倒れた鉄塔



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