木曜日担当のGOTOです。
先週末、50tラフタークレーンに乗務してきました。
場所は高千穂峡で作業は法面の保護工事のお手伝いです。
久々に高千穂峡に来たので休憩時間を使って遊歩道を散歩しました。
神硯に岩(かみすずりのいわ)から撮影した現場
神硯の岩とは
江戸の盲人学者塙保己一が「稀代の偉傑で諢涙身之れ勤王」と激称し、寛政の三
奇人の一人に数えられた高山彦九朗が1792年7月17日に高千穂を訪れています。
その紀行文「筑紫日誌」に「新橋を渡りて右に十間余なる岩硯の如くなる有り。
何共名あらず予硯石を名付けて可也といひし」とあり、当時の高千穂神社、神主田尻隠岐守は彦九朗と別れの時次の詠をおくりました。
みすずりの 岩とやいわれむ 神代より 伝へしことの 杤ぬ也けり
場所は、あららぎ駐車場・神橋から少し下ったところです。
上部から撮影したものです。確かに硯の形をしております。
ゴールデンウィークは皆さん是非、見所一杯の高千穂に足を運んで貰って絶景を楽しんでください。
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先週末、50tラフタークレーンに乗務してきました。
場所は高千穂峡で作業は法面の保護工事のお手伝いです。
久々に高千穂峡に来たので休憩時間を使って遊歩道を散歩しました。
神硯に岩(かみすずりのいわ)から撮影した現場
神硯の岩とは
江戸の盲人学者塙保己一が「稀代の偉傑で諢涙身之れ勤王」と激称し、寛政の三
奇人の一人に数えられた高山彦九朗が1792年7月17日に高千穂を訪れています。
その紀行文「筑紫日誌」に「新橋を渡りて右に十間余なる岩硯の如くなる有り。
何共名あらず予硯石を名付けて可也といひし」とあり、当時の高千穂神社、神主田尻隠岐守は彦九朗と別れの時次の詠をおくりました。
みすずりの 岩とやいわれむ 神代より 伝へしことの 杤ぬ也けり
場所は、あららぎ駐車場・神橋から少し下ったところです。
上部から撮影したものです。確かに硯の形をしております。
ゴールデンウィークは皆さん是非、見所一杯の高千穂に足を運んで貰って絶景を楽しんでください。
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