おはようございます。
毎朝、自分は本社のクレーン車庫で自家用車から営業車に乗り換え、四キロ弱離れた本社に
「乗り換えめんどくさ」
と思いながらも毎日出勤しています
しかし、本社のクレーンオペは朝早くに車庫から直接現場等に出勤していくので、連絡事項を伝えるのには、めんどくさい乗り換えも大事です。
毎朝、乗り換えの時、車庫の中に待機してあるクレーンを眺めていると、いつも思うのが16tクレーンの事故です。
16t№1は自分が入社して初めて新車の乗務させて頂いた機械です。自社のクレーンの中でも、一番年式の古い機械になってしまいました。
新車で購入してからは山間部などの困難な現場等で今もかなりの活躍をしています。
しかし、かなりの重大な事故等にも会い一歩間違えれば死亡災害が起きてもおかしくありませんでした。
昨年のダンプ事故と同様に林道からの転落事故です。
幸い軽い怪我ですみましたが、かなりの金額の事故処理費・修理代と修理期間がかかりましたが朝16tを見るたびに
『命あってよかった」
「直ってよかった」
と毎朝思います。
昨年のダンプ事故はお金ではどうにもならない大切な仲間の命を失ってしまいました。
事故当時、自分も事故現場に向かい谷に落ちているダンプを見るとダンプが木に引っかかっているだけの状態でした。
「なんじゃこれは」
と思い暗くなり足下の悪いながらもダンプのところまで行くと
同僚はハンドルと座席に挟まれてダンプから出られない状態でした。
「早くだしてください」
と苦しそうな顔して叫んでいる同僚に
ペットボトルのジュースを渡しながら、
「がんばんないよ」
と声を掛け消防団の方々と必死に救助活動をおこないましたが、周りは暗く、足下は自分ひとりで歩くのでさえも困難な場所で時間だけが虚しく過ぎていき自分の(無力さ)を思い知らされました。
やがて、熊本県のレスキュー隊が到着して特殊工具を使って救助活動がはじまりました。
隊員の方が同僚に
「大丈夫ですか!」
「頑張ってください!」
と声を掛けてて、同僚は
「早く」
と返事をしていましたが、自分が到着した時より明らかに、返事が弱くなっていました。
救助が進むうちに、同僚に隊員の方が毛布を掛けました。そしてやっとの思いで同僚がダンプの外に救出された時には意識がなく、隊員の方が心肺蘇生を行いながら担架で救急車までロープ等を使い、運ばれ自分も
(助かって)
と思いながら急斜面を這うように上がりました。
道路に上がっても、蘇生処置が行われながら救急車が現場を出発していきました。
後は落下したダンプのとこに戻り消防の方と火事が起きないかダンプがこれ以上転落しないか確認して現場を離れました。
そして家路に帰る途中に部長から連絡が入り落ち込んだ声で
「ダメじゃった」
と聞かされ全身の力が抜け、その日は眠れない一夜を過ごしました。
一年が過ぎても七月七日の事故を鮮明に覚えており、同僚の
「早く出してください!」
の声は耳からも離れません。
こんな悲惨事故をこれ先も忘れることは絶対にあってはなりませんし、事故を無くすには、この自分が体験し悔しくてたまらない気持ちをみんなに話して伝えて行くのが一番イイと思います。これからも事故をしない させないの気持ちを忘れず安全に努めていきます。
毎朝、自分は本社のクレーン車庫で自家用車から営業車に乗り換え、四キロ弱離れた本社に
「乗り換えめんどくさ」
と思いながらも毎日出勤しています
しかし、本社のクレーンオペは朝早くに車庫から直接現場等に出勤していくので、連絡事項を伝えるのには、めんどくさい乗り換えも大事です。
毎朝、乗り換えの時、車庫の中に待機してあるクレーンを眺めていると、いつも思うのが16tクレーンの事故です。
16t№1は自分が入社して初めて新車の乗務させて頂いた機械です。自社のクレーンの中でも、一番年式の古い機械になってしまいました。
新車で購入してからは山間部などの困難な現場等で今もかなりの活躍をしています。
しかし、かなりの重大な事故等にも会い一歩間違えれば死亡災害が起きてもおかしくありませんでした。
昨年のダンプ事故と同様に林道からの転落事故です。
幸い軽い怪我ですみましたが、かなりの金額の事故処理費・修理代と修理期間がかかりましたが朝16tを見るたびに
『命あってよかった」
「直ってよかった」
と毎朝思います。
昨年のダンプ事故はお金ではどうにもならない大切な仲間の命を失ってしまいました。
事故当時、自分も事故現場に向かい谷に落ちているダンプを見るとダンプが木に引っかかっているだけの状態でした。
「なんじゃこれは」
と思い暗くなり足下の悪いながらもダンプのところまで行くと
同僚はハンドルと座席に挟まれてダンプから出られない状態でした。
「早くだしてください」
と苦しそうな顔して叫んでいる同僚に
ペットボトルのジュースを渡しながら、
「がんばんないよ」
と声を掛け消防団の方々と必死に救助活動をおこないましたが、周りは暗く、足下は自分ひとりで歩くのでさえも困難な場所で時間だけが虚しく過ぎていき自分の(無力さ)を思い知らされました。
やがて、熊本県のレスキュー隊が到着して特殊工具を使って救助活動がはじまりました。
隊員の方が同僚に
「大丈夫ですか!」
「頑張ってください!」
と声を掛けてて、同僚は
「早く」
と返事をしていましたが、自分が到着した時より明らかに、返事が弱くなっていました。
救助が進むうちに、同僚に隊員の方が毛布を掛けました。そしてやっとの思いで同僚がダンプの外に救出された時には意識がなく、隊員の方が心肺蘇生を行いながら担架で救急車までロープ等を使い、運ばれ自分も
(助かって)
と思いながら急斜面を這うように上がりました。
道路に上がっても、蘇生処置が行われながら救急車が現場を出発していきました。
後は落下したダンプのとこに戻り消防の方と火事が起きないかダンプがこれ以上転落しないか確認して現場を離れました。
そして家路に帰る途中に部長から連絡が入り落ち込んだ声で
「ダメじゃった」
と聞かされ全身の力が抜け、その日は眠れない一夜を過ごしました。
一年が過ぎても七月七日の事故を鮮明に覚えており、同僚の
「早く出してください!」
の声は耳からも離れません。
こんな悲惨事故をこれ先も忘れることは絶対にあってはなりませんし、事故を無くすには、この自分が体験し悔しくてたまらない気持ちをみんなに話して伝えて行くのが一番イイと思います。これからも事故をしない させないの気持ちを忘れず安全に努めていきます。
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