南相馬市災害ボランティアセンターでは小学5年生になった女の子から70歳を過ぎた爺さんまで老若男女様々な方が活動しています。
小学5年生の彼女の担当は、送られて来た救援物資のチョコレートやお菓子などを小分けする「お菓子班長」。
班員に2名の高校生男子がいます。子供ならではの発想で「女の子用パック」や「お年寄りパック」など、菓子の種類で分けていきます。
彼女のお母さんは社会福祉士で、職場が閉鎖状態なのでここでボランティアをしていて、最初彼女は自宅で一人母親の帰りを待つ状態でした。今はボランティアをしながら、福祉会館の和室でボランティアメンバーに勉強を教えて貰ったり、本を読んだりするようになりました。
神戸から来たお爺さん。毎朝ガソリンの調達に出かけ、黙々と我々の活動車両にガソリンを入れ続けます。何処に寝ているのか尋ねると「いや、寝るところはあります」としか言いませんし、燃料代の心配を口にすると「義援金がありますから」としか言いません。
大阪から来た「チーム大阪」。飲食店を営むネパール人男性と接骨医院を営む2名チーム。2トン車に食料とドラム缶2本の軽油をぎゅうぎゅう詰めにして駆けつけてくれました。
3月27日から活動を開始した私は、、先に来ていたJという男の熱い思いに感動しました。「困っている人の力になりたい」という思いを感じたからです。
私は今後のボランティア活動の統制をとる必要性を考え、そのJをボランティアリーダーに指名しました。
しかしある日、別行動をしていたJと一緒に被災地を回っていて、彼のボランティア精神を疑う様になりました。
被災者に救援物資を渡し、「自分は東京から来ました!彼は(私を指さし)沖縄から来たんです!みんなで頑張りましょう!」と握手をし、被災者を泣かせるのです。
津波に流された集落跡で、ご夫婦が泥の中を歩き回っていました。流されただろう家族を必死に探しているのだろうと思いました。
通り過ぎようとしたら、いきなりJがその夫婦の側に走って行きます。
「ナベちゃ~ん!ナベちゃ~ん!」と大声で呼び、手招きします。私は彼のボランティア精神を疑っているので無視して行こうとしました。
「ナベちゃ~ん!このご夫婦はさ!長岡から来て、流された娘さんを探しているらしいよ~!」
デリカシーのかけらもない男だったのです。
私は仕方なく、そのご夫婦に近寄りました。お母さんがポツポツと話を始めました。長岡に住む自分たちが被災した時に、娘とその旦那さんが駆けつけてくれたので、今回の地震後にこの地に嫁いだ娘に電話したけれどと連絡が取れず、現地に飛んできたら家の跡形もなくなっていて…探していると。
お母さんが話をしている時だったので、こっそりビデオカメラを回しているJを殴りませんでしたが、私はこの偽ボランティアを追放することをこころに誓いました。
翌朝、このJをリーダーから降ろし、32歳の若者をリーダーに指名しました。リーダーを降ろされたJは日増しに我が儘になり、社会福祉協議会のボランティアセンター運営にことごとく反発しました。何かを言えば「俺は命を賭けている」とぶち切れ話が出来ません。
4月に入り、全く組織とは別行動となったJが驚くべき行動を取り始めました。夜中に福島第一原発の門までクルマで近づきビデオ撮影。その後近くの道路でフラフラ歩く男を乗せて帰ってきました。自慢げに原発の警備が手薄なこと、男性を放り出した東電を批判しますが、誰にも相手にされません。が、スクープだと信じた福島テレビがその画像をニュースで流したのです。
更に翌朝ミーティングでは意味不明な演説を行い、社協の担当者を気に入らないと恫喝しました。
国の方針に従うと原発からの20km圏内には立ち入れません。でも、そこから動かない、動けない住民は存在します。何故、強制的に立ち入れないようにしないかというと、「人間の尊厳」の問題があるからです。
自己満足しか出来ないJのような偽ボランティアには理解できないでしょう。独りよがりな行動がどんな問題を引き起こすのか、考えるアタマもないのです。
私は沖縄県警警視の親友に相談し、6日に福島県警本部に出向きました。警察が本気で怒るとどうなるか解るでしょう。
そしてJが所属する右翼団体があるとい情報を元に、東京上野にある右翼団体本部に出向きました。状況を説明し、アホな活動を止めさせるようお願いするつもりだったのです。
状況説明が終わると統括本部長が「どこにでも馬鹿がいるんですね~」と人ごとのように言います。アタマに血が上った私は「何をいうんですか!団体のメンバーなら何故活動を止めろと言わないのですか!」と言うと、あっさり「渡辺さん、うちにはこんな馬鹿はいませんよ。金のない団体ですけど、まじめにやってますよ」と言います。
「!えっ!所属してない?」
アタマが真っ白になった私は非礼を詫び、外に出ました。ガセネタ。疲れすぎて自分の車を何処に停めたのか解らず、上野の一角をぐるぐる20分も回りました。
翌朝、目が覚めて冷静になって電話をかけました。「全日本愛国者団体会議」統括本部長吉田さんにです。ステレオタイプに右翼をみていて失礼な行動をとったことなど謝罪しました。
「ハハハ。みんな、右翼をそう見るんですよ。気にしないでください。明日は炊き出しボランティアで焼きそばを焼きに行こうとトラック3台準備しました。渡辺さんも頑張ってください」。
考えればそうだ。右翼が戦闘服姿、それも街宣車の前で焼きそばをやいても、怖がって誰も食べにこないだろう。
一個人に戻り、ボランティアに参加する。想像もしなかったことを初めて知ったのでした。
ボランティアとは?
ボランティアのカタチとは?
考え続けなければ、「誰かの役にたちたい」という初心は劣化するでしょう。
だからこそ毎日考えないといけないのだと思います。
小学5年生の彼女の担当は、送られて来た救援物資のチョコレートやお菓子などを小分けする「お菓子班長」。
班員に2名の高校生男子がいます。子供ならではの発想で「女の子用パック」や「お年寄りパック」など、菓子の種類で分けていきます。
彼女のお母さんは社会福祉士で、職場が閉鎖状態なのでここでボランティアをしていて、最初彼女は自宅で一人母親の帰りを待つ状態でした。今はボランティアをしながら、福祉会館の和室でボランティアメンバーに勉強を教えて貰ったり、本を読んだりするようになりました。
神戸から来たお爺さん。毎朝ガソリンの調達に出かけ、黙々と我々の活動車両にガソリンを入れ続けます。何処に寝ているのか尋ねると「いや、寝るところはあります」としか言いませんし、燃料代の心配を口にすると「義援金がありますから」としか言いません。
大阪から来た「チーム大阪」。飲食店を営むネパール人男性と接骨医院を営む2名チーム。2トン車に食料とドラム缶2本の軽油をぎゅうぎゅう詰めにして駆けつけてくれました。
3月27日から活動を開始した私は、、先に来ていたJという男の熱い思いに感動しました。「困っている人の力になりたい」という思いを感じたからです。
私は今後のボランティア活動の統制をとる必要性を考え、そのJをボランティアリーダーに指名しました。
しかしある日、別行動をしていたJと一緒に被災地を回っていて、彼のボランティア精神を疑う様になりました。
被災者に救援物資を渡し、「自分は東京から来ました!彼は(私を指さし)沖縄から来たんです!みんなで頑張りましょう!」と握手をし、被災者を泣かせるのです。
津波に流された集落跡で、ご夫婦が泥の中を歩き回っていました。流されただろう家族を必死に探しているのだろうと思いました。
通り過ぎようとしたら、いきなりJがその夫婦の側に走って行きます。
「ナベちゃ~ん!ナベちゃ~ん!」と大声で呼び、手招きします。私は彼のボランティア精神を疑っているので無視して行こうとしました。
「ナベちゃ~ん!このご夫婦はさ!長岡から来て、流された娘さんを探しているらしいよ~!」
デリカシーのかけらもない男だったのです。
私は仕方なく、そのご夫婦に近寄りました。お母さんがポツポツと話を始めました。長岡に住む自分たちが被災した時に、娘とその旦那さんが駆けつけてくれたので、今回の地震後にこの地に嫁いだ娘に電話したけれどと連絡が取れず、現地に飛んできたら家の跡形もなくなっていて…探していると。
お母さんが話をしている時だったので、こっそりビデオカメラを回しているJを殴りませんでしたが、私はこの偽ボランティアを追放することをこころに誓いました。
翌朝、このJをリーダーから降ろし、32歳の若者をリーダーに指名しました。リーダーを降ろされたJは日増しに我が儘になり、社会福祉協議会のボランティアセンター運営にことごとく反発しました。何かを言えば「俺は命を賭けている」とぶち切れ話が出来ません。
4月に入り、全く組織とは別行動となったJが驚くべき行動を取り始めました。夜中に福島第一原発の門までクルマで近づきビデオ撮影。その後近くの道路でフラフラ歩く男を乗せて帰ってきました。自慢げに原発の警備が手薄なこと、男性を放り出した東電を批判しますが、誰にも相手にされません。が、スクープだと信じた福島テレビがその画像をニュースで流したのです。
更に翌朝ミーティングでは意味不明な演説を行い、社協の担当者を気に入らないと恫喝しました。
国の方針に従うと原発からの20km圏内には立ち入れません。でも、そこから動かない、動けない住民は存在します。何故、強制的に立ち入れないようにしないかというと、「人間の尊厳」の問題があるからです。
自己満足しか出来ないJのような偽ボランティアには理解できないでしょう。独りよがりな行動がどんな問題を引き起こすのか、考えるアタマもないのです。
私は沖縄県警警視の親友に相談し、6日に福島県警本部に出向きました。警察が本気で怒るとどうなるか解るでしょう。
そしてJが所属する右翼団体があるとい情報を元に、東京上野にある右翼団体本部に出向きました。状況を説明し、アホな活動を止めさせるようお願いするつもりだったのです。
状況説明が終わると統括本部長が「どこにでも馬鹿がいるんですね~」と人ごとのように言います。アタマに血が上った私は「何をいうんですか!団体のメンバーなら何故活動を止めろと言わないのですか!」と言うと、あっさり「渡辺さん、うちにはこんな馬鹿はいませんよ。金のない団体ですけど、まじめにやってますよ」と言います。
「!えっ!所属してない?」
アタマが真っ白になった私は非礼を詫び、外に出ました。ガセネタ。疲れすぎて自分の車を何処に停めたのか解らず、上野の一角をぐるぐる20分も回りました。
翌朝、目が覚めて冷静になって電話をかけました。「全日本愛国者団体会議」統括本部長吉田さんにです。ステレオタイプに右翼をみていて失礼な行動をとったことなど謝罪しました。
「ハハハ。みんな、右翼をそう見るんですよ。気にしないでください。明日は炊き出しボランティアで焼きそばを焼きに行こうとトラック3台準備しました。渡辺さんも頑張ってください」。
考えればそうだ。右翼が戦闘服姿、それも街宣車の前で焼きそばをやいても、怖がって誰も食べにこないだろう。
一個人に戻り、ボランティアに参加する。想像もしなかったことを初めて知ったのでした。
ボランティアとは?
ボランティアのカタチとは?
考え続けなければ、「誰かの役にたちたい」という初心は劣化するでしょう。
だからこそ毎日考えないといけないのだと思います。
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