台風15号から温帯低気圧に。天気も雨が降ったり止んだり不安定・・・。
2学期がスタートした子ども達、新学期の登校は学校用品もたくさん。手荷物たくさんな上に、傘まで差して悪戦苦闘の登校です。どうか車を運転する皆さん、荷物をたくさん抱えた子ども達が無事、登下校できますようにやさしい運転お願いします(^_^)v
月曜日担当【KUMI】です。今週もEIKOブログよろしくお願いいたします。
突然の訃報から10日あまり経ちました。
30年と長きに渡り、佐藤家の高千穂実家に勤めてくださった方が他界されました。
あまりにも突然で、信じられない、いや信じたくない状況に私たち家族は呆然としました。
いつも義母のそばで佐藤家のことを一生懸命支えてくれた存在は、私たちの母親同然、困ったときは誰よりも頼りにしていました。
誰に対しても満面の笑みと、楽しいおしゃべりは周りを和やかにしてくれる優しさ溢れる人でした。
特に、身体が弱い義母をいつも気遣い、共に笑い泣きの人生を過ごしていました。そのためか二人はいつしか似たもの同士、まさにあうんの呼吸。
ある日、いつものように義母が買い物を頼んでいる時のこと
母:「ねえ、あのーなんだっけあれ?白くて・・・ピューッて・・・プチッて・・・。あれよ。あれ買ってきてね。」
河野さん:「はい、奥さんあの白いやつね。何個ね。だいたいやね。」
私:「ちょっと、今の説明で分かったのホントに?その名前はなんね!」
いつもこんな「あれよ、あれ。」という二人の会話を聞き慣れていたのですが今回ばかりは、私もさっぱり???
義母は「大丈夫ちゃが、久美さん。」と河野さんに絶対の信頼。さて、皆さんは二人の会話で何を買って来なければならないか分かりましたか?
答え⇒えのき茸
私はびっくり・・・からの大笑い。しばらく三人でおなかを抱えて笑ったものです。
「私たちは二人で一人よ。」と、互いに足りないところを補っているのだと、よく笑って話していました。
お別れをしてから数日経つけれど、朝が来れば「奥さん、おはようございます。」と勝手口から入ってくるようで・・・。
佐藤の家に帰るとまだ、河野さんの笑い声と元気な足音の余韻が残っています。もうすこし、私たち家族のそばにいてほしかった。
心から感謝を込めて、ありがとうございました。
2学期がスタートした子ども達、新学期の登校は学校用品もたくさん。手荷物たくさんな上に、傘まで差して悪戦苦闘の登校です。どうか車を運転する皆さん、荷物をたくさん抱えた子ども達が無事、登下校できますようにやさしい運転お願いします(^_^)v
月曜日担当【KUMI】です。今週もEIKOブログよろしくお願いいたします。
突然の訃報から10日あまり経ちました。
30年と長きに渡り、佐藤家の高千穂実家に勤めてくださった方が他界されました。
あまりにも突然で、信じられない、いや信じたくない状況に私たち家族は呆然としました。
いつも義母のそばで佐藤家のことを一生懸命支えてくれた存在は、私たちの母親同然、困ったときは誰よりも頼りにしていました。
誰に対しても満面の笑みと、楽しいおしゃべりは周りを和やかにしてくれる優しさ溢れる人でした。
特に、身体が弱い義母をいつも気遣い、共に笑い泣きの人生を過ごしていました。そのためか二人はいつしか似たもの同士、まさにあうんの呼吸。
ある日、いつものように義母が買い物を頼んでいる時のこと
母:「ねえ、あのーなんだっけあれ?白くて・・・ピューッて・・・プチッて・・・。あれよ。あれ買ってきてね。」
河野さん:「はい、奥さんあの白いやつね。何個ね。だいたいやね。」
私:「ちょっと、今の説明で分かったのホントに?その名前はなんね!」
いつもこんな「あれよ、あれ。」という二人の会話を聞き慣れていたのですが今回ばかりは、私もさっぱり???
義母は「大丈夫ちゃが、久美さん。」と河野さんに絶対の信頼。さて、皆さんは二人の会話で何を買って来なければならないか分かりましたか?
答え⇒えのき茸
私はびっくり・・・からの大笑い。しばらく三人でおなかを抱えて笑ったものです。
「私たちは二人で一人よ。」と、互いに足りないところを補っているのだと、よく笑って話していました。
お別れをしてから数日経つけれど、朝が来れば「奥さん、おはようございます。」と勝手口から入ってくるようで・・・。
佐藤の家に帰るとまだ、河野さんの笑い声と元気な足音の余韻が残っています。もうすこし、私たち家族のそばにいてほしかった。
心から感謝を込めて、ありがとうございました。
私が中学校1年生の夏休みからずーっとお世話になった家政婦のおばちゃんです。
それまで日之影の会社で生まれ育った私は、祖父が建てた高千穂の家に同居することになり、引っ越したものです。
引っ越したときには、すでに河野さんは手伝いに来てくださっていました。
それから中学、高校とどれだけ世話になったことか。朝寝坊をしたら学校まで送ってもらい、忘れ物をしたら持ってきてもらい、母が床に伏せているときは弁当を作って持ってきてもらい、どんだけお世話になったか言い尽くせません!
あれから30年、私にとっても、父母にとっても、会社にとっても河野さんはいるのが当然の存在でしたが、今回の突然の訃報、狐につままれた状態でした。
もうあの満面の笑みも見られません。笑い声も聞けません。私も「河野おばちゃん」と声もかけられません。
寂しさが日に日に大きくなっていきます。
迷惑一杯かけたけど、河野おばちゃんのお陰でうちの家は何とか動いていました。祖父、祖母、父、母、私、弟、本当にお世話になりました。
うちの家族であった河野おばちゃん、安らかにお眠りください。
ありがとう!