昨日3月11日。東日本大震災から7年を迎えました。
長いようで短い年月は復興という歩みによって、今もなお人々の心に癒えることない痛みとなり生き続けていることを改めて感じた日でした。
また、霧島連山の新燃岳は爆発的噴火が続きました。降灰に悩まされる住民の方もまた苦労の日々だと思います。まだ警戒が必要のようで、心配が続きます。
月曜日担当【KUMI】です。今週もEIKOブログよろしくお願いします。
3.11・・・が近づくと、改めて防災の意識だったり、家族、命の大切さだったり、普段は当たり前だと思っていることがどれほど尊く愛おしいものかということを実感させられます。7年が過ぎた今も、さまざまな形で当時の出来事を語り続け、防災はけして他人事ではないということを教えてくれています。
我が子と同じくらいの子が、震災により両親、家族を失い孤独の中にも力強く生き抜く様子をニュースで見ました。不安と絶望のどん底から「生きよう」と自分自身を奮い起こした東日本の子ども達のこれからの幸せを願わずにはいられません。
長いようで短い年月は復興という歩みによって、今もなお人々の心に癒えることない痛みとなり生き続けていることを改めて感じた日でした。
また、霧島連山の新燃岳は爆発的噴火が続きました。降灰に悩まされる住民の方もまた苦労の日々だと思います。まだ警戒が必要のようで、心配が続きます。
月曜日担当【KUMI】です。今週もEIKOブログよろしくお願いします。
3.11・・・が近づくと、改めて防災の意識だったり、家族、命の大切さだったり、普段は当たり前だと思っていることがどれほど尊く愛おしいものかということを実感させられます。7年が過ぎた今も、さまざまな形で当時の出来事を語り続け、防災はけして他人事ではないということを教えてくれています。
我が子と同じくらいの子が、震災により両親、家族を失い孤独の中にも力強く生き抜く様子をニュースで見ました。不安と絶望のどん底から「生きよう」と自分自身を奮い起こした東日本の子ども達のこれからの幸せを願わずにはいられません。
東日本大震災から7年。福島原発は廃炉の目途が立たず、未だに43千人が避難所生活。福島産のお米を食べるとか、旅行で被災地を尋ねるぐらいしかできませんが、こころから一日も早い復興を祈っています。
貴社の社員さんで震災直後に被災地支援のボランティアに飛んで行った方がおられましたね。お元気でご活躍でしょうか。
コメントありがとうございます。
東日本大震災は遠い記憶とならないよう、遠く離れた九州からも応援できることを考えていきたいですね。
先日、ママ友が被災地に研修に行ったことを涙を流しながら話してくれました。様々な思いを教えてもらいました。