栄高産業社内リレーブログ

 皆さん、おはようございます。 水曜日担当 今村です。

 
 今週は「見えないモノ」について書いてみたいと思います。

 1月21日に発生した鶏インフルエンザ…
 1月26日に50年ぶりに噴火した新燃岳…
 3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震…
 その他にもいろんな事がおきている まさに 激動の2011年。

 この要因…渡り鳥からの感染、地下のプレート、マグマ、、、日常生活のなかでは、ほとんどすべてが 目に見えないモノである。 

 目に見えないモノに対しての対抗手段…正直わからない 

 科学的、その他のことは専門家の方に頼るしかないが、私たちに出来ることとしては
 
 「いつ何がおきるか判らない」という意識、それに対する備え
 「地域のつながり」…
 「人と人とのつながり」…
 「家族のつながり」…

 やはり 目に見えないモノ で対抗(?)するしかないと思う。。。

 世界各国からいろんな形での支援があるが、「以前から日本には助けてもらってるので今度はこちらが…」などのインタビューを目にすると、(やはり根本的には目に見えない 想い(思い) だな~)と思う。

 国家、自治体、企業、家庭…規模は違っても、それを動かすのは人である。 
 ひとり一人の人間が 【先の目に見えないモノに対して、今の目に見えないモノを大切にしていく】 ことをやっていく必要があると思う。  

 転ばぬ先の杖 ではないけれど…

 
 なべさん 元気ですか?
 あなたの想いは見えないモノだけど、今、そちらの方々にはハッキリ見えていることでしょう。 どうかご自愛しながらご活躍ください。


 はしり書きになってすみません。  
 最後までのお付き合いに感謝して、また来週。。。。。それまでお元気で !

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 みなさん、こんにちは。

 桜もちらほら咲いてきましたが、大震災が頭にあり、例年どおりのテンションにはなれません。。。

 先週ご紹介した岩戸在住の高千穂高校卒業生による義援金のお願い……20万円近くのみなさんからの善意をちゃんと送っていました。新聞に載っているのを見て「よくやった。」と拍手を送りました。

 彼らも小学生時代に所属していた【岩戸サッカースポーツ少年団】の送別会が先日ありました。(現在は郡内3チームが一つとなり 西臼杵FC として活動しておりますが各チームでの活動も盛んにおこなっています。)
 
 日中のお別れサッカーには仕事の関係で参加できませんでしたが、夜の部へは卒団生、在団生、保護者、指導者…40名ほど集まりました。 入団した頃はタメ口だった彼らも、サッカーを通していろんな事を学び成長してくれました。卒団生一人ひとりの言葉では、下級生へ託すコメントの後には親への感謝の言葉も言ってくれました。恥ずかしながらも、きちんと話す姿は立派でした。 勝手に恒例にしている私のビンゴ大会…ヘソクリでやっと買う景品にケチをつける割りには顔は真剣そのもの… トップと最後の景品が良いため、1位が出るまでは「揃え、揃え…」、誰かが当たると一気に「揃うな、揃うな…」と手持ちのカードを見つめて一喜一憂 
 
 楽しい時間はあっという間に過ぎ、お別れ会が終わりました。 みんなが帰りだして(悪ガキの2トップ)(サボリ魔)と言われた二人が「監督と出会えてよかったです。ありがとうございました。」なんて言うもんだから握手をする私は我慢していた涙が出てしまいました。

 サッカーを通していろんな事を教える私たち指導者も、実は選手から多くの事を学んでいるのです。
 お互いがお互いの影響を受けて成長できれば最高の関係だと思います。
 合同チームを機に私は総監督になったので岩戸の監督は当時のコーチ(後輩)にお願いしたのですが、選手の気持ちをしっかり掴んでやってくれている事にも感謝しています。
 
 今日は岩戸小学校の卒業式…親も子も、泣いて笑って、素敵な日にしてください

  公耀、啓太、淳、和樹、大樹…卒業おめでとう ♫
 キミたちとの出会いに感謝し、岩戸中のグランドを駆けまわる姿を楽しみにしています。
 ミスを恐れず、思いっきり羽ばたけ !  ずっと応援しています 


 今週もお付き合いいただき、ありがとうございました。  《 ひとつになろう 日本 》 

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               連日の震災の報道がとても気になっています。 もちろん、これからの日本はどうなるのか?という心配もありますが、それより<被災された方に毛布と食料を…。行方不明の方が無事に発見されて欲しい…。>など、今現在への思いが強くあります。 私のようなちっぽけな人間でも出来ることがあるはず…と考えています。

 そんななか、先日高千穂高校を卒業した岩戸在住の若者が、観光地「天安河原 (あまのやすかわら)」入口に立ち、道行く方々に【東日本大震災への義援金のお願い】をしていました。

 

P3150800.JPG  少年サッカー時代の生徒もいます。 田舎なので…みんなとは知りあいです(笑)

P3150804.JPGP3150804.JPG         彼らの 思い です。

P3150808.JPGP3150808.JPG   多くの 観光客の方が募金してくださいました。なかには口蹄疫の被害に遭われた老夫婦の方が「私達の口蹄疫の時、全国の方から助けていただいた。御恩返しに地元で毛布ほかの物資を集めているんだよ。」と話していらっしゃいました。

P3150803.JPGP3150803.JPG          地元の方も車を停めて…


 18歳の若者が大きな声で呼びかける。。。 自分の18歳の頃は…自分が楽しければイイ ! の生活、行動だったように思える。

 テレビの中で、涙ながらに「何もかも失ったけど家族全員が無事だっただけでありがたい。」「寒いし、苦しいけど、孤立している方はもっと寒いし苦しんでいらっしゃいます。そんな方をどうか助けてあげてください。お願いします。」 このような場面を見ると、小さい考えの自分が恥ずかしくなります。

 現地に出向いて活動する。などは、なかなか出来る事ではありませんが、 今、自分に何が出来るかを考えたり、今回の大震災で感じたことを家庭や職場に生かす。。などは出来ると思います。

 周りで何か起きた時に<もし自分だったら…(当事者の気持ちで考えてみる)><不満もあるけど、自分は幸せだ…(当たり前と思っている事への感謝)><なにか自分に出来ることはないか?(見返りを求めないボランティア精神)> …

 …こんな人が増えたら、(政治や災害などからの)日本の復活は素晴らしいものになると思う。。。。。

 若者の活動を見て考えさせられました。

 最後になって申し訳ありません、震災に遭われた方々へ一日も早く落ち着いた生活が戻りますようお祈り致します。

 今週もご覧いただき、ありがとうございました。
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 みなさん、こんにちは
3月に入り、春へ一直線…とはいかず、朝晩の冷え込みが戻ってきていますがお変わりありませんか?

 今回はタイトルからして重い感じですが、どうしても書きたくて…どうか最後までお付き合いください。

 先日、我が家の一員、名犬< ブンタ >が天国へ旅立ちました。

 ブンタとの出会いは14年前……。 仕事帰りにコーヒーでも飲もうと自販機に立ち寄りました。すると近くで知りあいが二人で話していたみたいで声を掛けられました。ひとりは先輩、もうひとりは後輩の女性でした。世間話の中で、ある施設に勤めている後輩の女性が「ウチの施設に仔犬がいるんですが、どうしても子供達が乱暴に接してしまうので、園長が引取り手を探したけどおらず、かわいそうだけど来週保健所に行くことになってしまったんです。」と言いました。 (かわいそうに…)そう思った次に出た言葉は「その犬、オレ、もらいたいんだけど」でした。 別れて帰る時に「あ~、勢いで言ってしまったけどよかったかな~。」と少し後悔もしました。そう思った理由は以前の犬が自宅前で車にはねられて死んだからです。 (もうペットは飼わない…)そう決めていたのに、これでまたいつか、あんな悲しい思いをする…お人よし過ぎる自分に呆れてしまいました。

 数日後の夕方、段ボールに入ったブンタと御対面…黒くて小さいブンタは震えていました。 
 「園長が感謝してました。ただ…なつくまでには時間がかかるかもしれません。」
 「大丈夫、大丈夫、ありがとう」

 家に着くまでの道のりは助手席のブンタに自己紹介から家族構成まで話しました。(当然返事はなく、オレばっかり話してました(笑)) 家に着いたんですが、ここで問題発生…実は家族に犬をもらった。と、どうしても言えずにいたのです。。。(とりあえず、ご飯をあげなきゃ…)、家に入り、土間の隅に箱を置き、冷蔵庫から牛乳とカステラを出してきてあげました。食べてくれたことにホッとした事を覚えています。「静かにしとけよ。」と伝え(?)、テレビを見ながら食事をしました。(ここまで、ドラマで仔犬を抱えて帰ってくる小学生と同じレベルの行動です。) しばらくすると<クーン、クーン>と聞こえてきます。母ちゃんが「今なんか聞こえんかったか?」、すかさずオレが「テレビの中じゃが」……次の瞬間<キャン、キャン、キャン…>、オレはメマイがしました。(よりによって、このタイミングで吠えるんかい) 当然バレてしまい、母ちゃんからは「もう犬は飼わんち言うたじゃねえか…」と叱られてしまいました。(ここで一度確認しておきますが、これはオレが立派な(?)社会人になってからのお話ですからね)  なんだかんだ文句を言いながら母ちゃんと奥さんはブンタを触りまくっていました。

 晴れて我が家の一員になったブンタとは後輩の予想に反して直ぐ仲良くなれました。 ボールが好きで、子供とサッカーをしていると乱入してきては鼻先でボールを転がしたり、咬みついたりしていました。(おかげで、かなりの数のボールが破けてしまいました)。散歩はもちろん、田植え、稲刈り、広場での遊び…あらゆる場面にブンタは登場していました。 ウチに来る前の環境を忘れ強い男になって欲しいと、菅原文太のイメージでつけた【ブンタ】。 人や他の犬に吠えたりすることなどなく、立派な男でした。 目が悪くなり、歩くスピードも遅くなり…覚悟はしていたつもりだったけど、まったく動かないブンタを前に出てくるのは(涙)だけでした。

 人間だから結果が悪い時、悲しい時は後悔してしまうんだろうけど、それを少しでも減らすには、その時その時を頑張るしかない…  愛犬を失って思ったことでした。

        
     ブンタへ

 最初はキミを助けたい気持ちだったのに…
 いつの間にかキミがオレや家族を助けてくれていたね…

 もっといっぱい遊んであげればよかった
 もっといっぱい話しかけてあげればよかった

 今は後悔ばかりです
 
 悪い飼い主でゴメンよ…
 
 キミのおかげで子供たちも優しい気持ちが生まれました
 キミには感謝しています
 
 もう首輪も鎖もないから自由に走りまわって遊んでください

 ブンタ、ホントにありがとう
 キミの事は忘れないよ

        ………また会おう !
                   
            それまで  バイバイ……… 


 長文、乱文にお付き合いいただき、ありがとうございました。


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2011年03月02日

卒業おめでとう

 みなさん、こんにちは

 昨日は県立高校の卒業式でしたね。 ブログメンバーの <娘・命>で有名(?)な工藤部長も卒業式に行かれ、泣き崩れていらっしゃいました(勝手な憶測です)   ふと、自分の卒業式を思い出そうとしましたが…式の事が思い出せませんでした。。。 思い出された事と言えば…
  
 ① 花束
 ② 女子の号泣
 ③ バンド 
 ④ 制服のボタン
 ⑤ 家に帰ると…

くらいでした。

 ① 花束…式が終わって教室に移動していたら後輩のヤンキー女子達がくれました。 (彼女達は今でも眉が無いのだろうか???)

 ② 女子の号泣…教室に戻って最後のホームルーム。。。ひとり一人が前へ出てのトークタイムで、いつもギャーギャー言っていた女子が泣きまくっていました。 男子もウルウルしてきたので、私は名物先生のモノマネで笑いをとりました。そしたら委員長が「まったくアンタって人は…」と言い出したので、再び前に出て委員長の親父さんの喋り方をマネしてやりました。委員長の母ちゃんが涙を流しながら笑っていたので満足しました。

 ③ バンド…中央体育館なる場所を借りて、最後のバンド活動をしました。場所は借りたが客がいない、ではカッコがつかないので数日前から後輩を脅して人集めをさせました。かわいい後輩のお陰で沢山の人が来てくれました。 【アースシェイカー】を熱唱し、私達の<アウトブレイカー>は、誰からも惜しまれる事なく解散しました

 ④ 制服のボタン…熱唱が終わり片付けていたら「ボタンを下さい」の声…(待ってました)。片付けが終わり、自分の制服を見ると袖のボタンが一個だけ残っていてショックだったので、ドラム担当の修司クンのポッケに入れて、自分は全部持って行かれた的な態度をとりました

 ⑤ 家に帰ると…夜の打ち上げ(ホントはいけない事)の前に家へ帰ると、今は亡き婆ちゃんが「ほったらかしじゃったけど、卒業できて安心したゾ。どこの親も来てたどが? でん、仕事に行った母ちゃんを恨むなよ」と言いました。 私は「半分くらいしか来てなかった」とウソを言い風呂に行きました ……頭を洗いながら久しぶりに泣きました。。。

 23年ほど前のお話でした。

 最後に…『卒業生諸君、おめでとう。君達の可能性は無限大です。自分を信じでがまだせyo~』  おじさんも頑張るわ

 今週もありがとうございました。  クリックをお願いします。




  
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